東日本大震災医療支援活動 被災地からの便り(2011/7発行ジャーナル7月夏号掲載) – AMDA(アムダ)
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東日本大震災医療支援活動 被災地からの便り(2011/7発行ジャーナル7月夏号掲載)

東日本大震災医療支援活動 被災地からの便り

大槌町植田医師

自営クリニックの窓から見る迫りくる津波。この後、患者さん共々屋上に避難しヘリコプターで救助された植田医師撮影(大槌町)

 岩手県立大槌病院岩田院長

AMDAの皆様宛てのお礼状が届きましたので転載します

 


6月27日新たな建物で診療再開した岩手県立大槌病院
内部 地元スタッフと高岡邦子医師(左/AMDA顧問)

東日本大震災による大津波のため、大槌町の中心部はほぼ壊滅状態となり大槌病院は2階上部まで浸水し、また、6軒の診療所もすべて全壊したため大槌町の医療機能は麻痺状態となり、途方に暮れておりました。そういった時にAMDAのスタッフの力強いご支援を受けたことは誠にありがたく大槌病院の再建に大いなる力となりました。
おかげさまで、4月25日に仮設診療所の開設に漕ぎつけることができ、さらに6月末には、本格的な仮設診療所で診療ができそうです。AMDAの方々にはいろいろお世話になりました。皆様のお心遣いに感謝申し上げてお礼のご挨拶と致します。

鍼治療に託す思い 佐々木賀奈子

AMDAの緊急医療支援時からともに活動し、緊急医療チームの引き上げ後は、AMDA鍼灸巡回治療を担う佐々木賀奈子さん。津波で自宅を流されたひとりです。

 


施術中の佐々木鍼灸師

心身共に健康をサポートすることが、私の鍼治療の原点であります。東洋医学、鍼灸治療は、倦厭されたり、対処療法にすぎないと思われがちですが、古来からの民間療法であり、日常的に施されていた療法でもあります。しかしながら、現段階では保険適用外とみなされ、受診料が高額になってしまいます。
私の住む地域では、県立病院が1か所、個人開業医が数か所ありますが、高齢化の進むわが町は入院施設が少ないのです。結局隣町の病院まで車で40分程かけて通院しなければなりません。さらに緊急の場合には、120キロ離れた内陸の病院に転院せざるを得ないのです。このような状況もあり、私は鍼灸治療の保険適用を推進し、少しでも多くの方々に治療を施したいと考えています。人間の身体と心は一体であります。陰陽のバランスがとれていると、心身ともに楽になり、四季を通じて健康な免疫力のある身体になります。この活動を継続することで、地方の医療改善、病気の予防となることを目指しています。何より鍼治療の魅力は、患者さんの身体に直接触れ、手当できることです。会話することで身体の痛みだけでなく、メンタル面でのサポートもできます。痛みが緩和できた時の患者さんの笑顔が、私の心の栄養であり、仕事の醍醐味です。

岩手県上閉伊郡大槌町桜木町自治会長:中村盛観さん

被災地のコミュニティを支える自治会組織。AMDAの緊急支援活動に尽力いただいた地元の自治会長中村さんから6月中旬に届いた手紙を紹介します。

 


中村さん(右)と松原さん

避難所で伝統芸能を披露する大槌高校生ら6月

拝啓 一足飛びに真夏日の続く今日この頃、ときおり流れる風に貝の風鈴がカランコロンとかろやかな音を奏でております。
3月11日14:40頃、私は自治会の年度末事務処理のために桜木町保健福祉会館に出かけ、妻の美弥子は自宅にいました。私は地震直後、桜木町保健福祉会館が津波避難場所になっていたので、ここに一次避難、その後携帯電話が繋がらないので、裏山の藪を漕いで山の上部にある林道に出て、災害対策本部がある「城山中央公民館」に向かいました。林道から見ると、既に大槌町市街地は津波で瓦礫の原と変わり果てておりました。
公民館には、対策本部の看板はあるものの、人がごった返していました。町長以下数十人の役場職員が津波に呑まれた後で体制が組めず、烏合の衆状態であったと後に聞きました。 一方、地震津波により瓦礫が燃えて火勢が強まり、油タンクに火が移って爆発、山林にも延焼しました。私は、燃えていない場所を選びながら、山道を元の桜木町保健福祉会館に戻り、会館の裏山にある民家の軒先で夜中を迎えましたが、未明2時頃に再び山林火災に追われ、福祉会館2階の和室に退避。夜明けを待って、消防団の指示により、桜木町住民約100名を誘導して「寺野弓道場避難所」に入りました。別の場所に避難していた桜木町住民も合流し、さらに海岸近くの栄町・須賀町・花輪田地区住民なども加わって、一時は総勢600人が弓道場に押しかけましたが、避難者名簿に記帳して一呼吸した後、余震が収まるに従い、三々五々、津波被害のない親戚などを頼りに移動していきました。
私は桜木町自治会長をしている関係で、自治会役員数人と、手薄になっている行政を手伝う形で、毎日、避難者の入退出者数の把握、滞在場所の割り付け、食事の準備を行いました。また、外部との連絡調整や、マスコミ対応、避難者の意見集約、避難所運営のルール作りも引き受け、みんなに何かの仕事を担当してもらい、互いに助け合い自主的に運営できる雰囲気作りに努めました。
自宅は床上170cmの浸水で、家財道具の多くを処分しました。妻が毎日通って泥で汚れた床や壁、衣類、食器類を洗浄し、泥との格闘でした。おかげで、約2ヶ月後の5月10日には何とか避難所を退出することができました。リビングにやっと夫婦が寝泊まりできる空間が取れるようになりましたので、自宅に戻って自力による復活を目指しているところであります。
現在桜木町自治会員は殆ど自宅に戻り、避難所に残るのは50名弱です。一方、各地の避難所から戻ってきた自宅避難者は、目下、桜木町で630名あまり、一部は町内から他県・町に転居されているようです。
大槌町にはまだ行方不明者が相当数いるため、慎重に遺体捜索をしながら瓦礫処理しております。それでも、市街地の瓦礫はかなり片付いてきました。河川周辺の瓦礫の山も徐々に片付いて、一時の殺伐とした様相はなくなってきました。全国から驚くほど大勢集まって下さったボランティアの皆さんの活動の広がりと、自衛隊の頼もしい支援活動が強く印象に残りました。
ところで、ヘドロを巻き込んだ海水が自宅周辺に流れ込んできた影響で、庭の雑木などが枯れてきましたが、樹齢20年ほどの藤の木は元気で、先日、なんと!健気にも淡い紫色の花を咲かせたではありませんか。妻は「涙が出るほどうれしい!」と感動しておりました。「私達はこの“庭の藤の木”から元気をもらって災害を乗り越えて行きたい」と考えております。また、藤の花の上に取り付けていた野鳥の巣箱に、先月「シジュウカラ」が巣篭り抱卵中でした。一週間ほど前にヒナが巣立っていきました。人間の都合とは関係なく、地球、動・植物の営みがそれぞれ何事もなかったように推移していきました。
皆様には、この間、物心両面のご激励を頂き、本当にありがとうございました。初対面の方や親切な方々からいろいろな支援品を頂き、日本人の優しさを感じました。自治会のデータも復旧し、少しずつ元気が出てまいりました。これも皆さまのお蔭と感謝しながら、今後も生きていきたいと思います。本当にありがとうございました。         敬具