東日本大震災緊急医療支援活動 被災地の人々の声(2011/6発行ダイジェストNo.36掲載) – AMDA(アムダ)
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東日本大震災緊急医療支援活動 被災地の人々の声(2011/6発行ダイジェストNo.36掲載)

東日本大震災緊急医療支援活動 被災地の人々の声

釜石医師会災害対策本部 本部長 寺田 尚弘さん 医師 釜石市在住

 

紹介:震災当初から、医師会の災害対策本部・本部長として、医療支援班の取りまとめを行う。刻一日と変化をしている状況を冷静に判断し、釜石・大槌地区の緊急医療から移行まで調整を現在も行っている。

中央が寺田医師

御礼
発災より2カ月半が過ぎ、被災地の医療はようやく落ち着きを取り戻し通常医療の復興の足音が聞こえ始めてまいりました。この2カ月半何百人という医療スタッフのご尽力のお陰で被災地釜石・大槌の医療を守ることができました。心よりお礼申し上げます。

災害の規模はどの点からみても想定外であり、私のような一開業医が医療支援班をまとめる役を務めなくてはならないこともまた想定外のものでした。震災前に学習しておいたものなど何もなく、またあったとしてもおそらくは役に立たなかったのではないかと思われます。日々の先生方の活動報告から現場を推し量り、ニーズを把握し、問題点を整理し、解決策を提示する仕事。どんなときにも常に支援班の先生方に助けていただきましたが、とりわけAMDAの先生方には現場での医療班の調整業務、臨時の往診活動など本当にきめの細かい役割を引き受けていただき、マンパワーのない対策本部を支えていただきました。感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。この場をお借りいたしまして心より御礼申し上げます。今後の皆様方の活動が今回のように地域に実り多きものとなりますように祈念いたしております。

 

岩手県立大槌病院 外来師長 沼崎 栄子さん 看護師

 

紹介:災害当時は病院勤務中であった。入院患者すべてをこの震災から避難させ、引き続き緊急医療を避難所診療所で行っていた。現在は、ふれあい広場に設置された仮診療所で看護師長をつづけている。

大槌病院スタッフのみなさん

今回の震災での経験は、何から話していいか分からないほど沢山あります。振り返ると、震災直後の3日間は寒さと飢えと精神的にもとても辛かったです。しかし、病院には患者さんや多くの職員を守ることが、私の責任としてありました。津波の水が引いた後、瓦礫の中を浸水した大槌病院へ医療を求めてくる患者さんもいました。「助かって生き残った人達に、生きていくために、医療をすぐに始めて行くことが必要。」と、使命感のようなものを感じました。患者の搬送先や安否確保の為に瓦礫の町を歩きまわりました。職員も無我夢中で動いていました。緊急医療のチームが到着し、迅速に患者輸送や対応が行われ、安心感が少しずつ見られてきました。

アムダのみなさんは、はじめの段階から長期にいてくれたことで医療提供だけでなく、多くの被災した町民や職員たちの支えにもなっていました。同じ医療者としての「志」を持って活動されている姿に、現場でともに働く私達も励まされました。

今は、瓦礫に囲まれた仮大槌病院診療所ですが、一日に多いときで100人近い患者さんが、交通の便も悪い中やってきます。自分達の町の中に、そして身近に医療機関があることは、町の人達の望みなのかもしれません。これから、どのくらい時間がかかるか分かりませんが、以前のように病院として町の医療を担ってけるように希望を持っています。

 

中田薬局 代表取締役 薬剤師 中田 義仁さん 釜石市在住

 

紹介:震災初期より、釜石災害対策本部、薬剤師会代表として活動を行う。震災現場の医療ニーズにあわせ薬品の調達手配を迅速に行う。

中央が中田薬剤師

当時の思いとしては、一気に別世界に入って生活しているようでした。その中で懸命に活動している自分がいました。 震災翌日から避難所回りを開始しその中で慢性疾患の薬切れの需要が多いことを確認しました。それからはがむしゃらに動き回りました。

今の時点で思うことは、この震災の中で自分のやれること(被災した方々の役に立てること)をすぐに見つけることができ行動に移せることができたのは、余計なことを考えずに済むことができ良かったです。助かりました。これからは、避難所から仮設住宅に移ります。その中で薬剤師としてどのように貢献できるか一度頭を整理して良く考え活動していきたいと思います。

 

桜木町自治会 会長 中村 盛観さん 大槌在住

 

紹介:桜木町自治会の会長。震災当時、避難所指定場所・弓道場へ避難する。そこで、避難所生活運営を桜木町自治会としてサポート活動をまとめていく。弓道場におけるAMDAの活動時には住民の皆さんとの間を上手く取り持っていただける存在であった。

左が中村さん

震災当時から振り返ると、「支援の輪が広がっている」ということを強く感じています。天災による被害の現実を受けいれ、自活していくために過ごしていく中、医療や精神的サポート、食事から物資の配達にいたるまで、世界中・日本中から、多くの手厚い支援によって支えられていることを実感します。その支援は、神戸や新潟の災害での経験が蓄積されているように感じました。お互いに生きていこうという、支えあいの輪が広がっているように思います。

今回、津波にもまれて亡くなった方々は大勢います。その中でも何とか生きのびた人は、その現実を受け入れ、互いに支えあい気持ちを一つにしていくこが必要です。そこで、以前私が自治体挨拶で引用した「足るを知る者は富む」と言う句を思い起こされました。様々な解釈はありますが、震災前の生活に比べると物資も何もかも十分とはいえません。しかし、このような状況を経験したとで、幸せを構築していくためには何が必要なのかを改めて考えさせられました。現在は、目の前にある瓦礫や様々な物の片付けに追われていますが、徐々に桜木町自治会としての活動や支援活動を再開していきたいと考えています。

 

三浦 由佳子さん 大槌町在住

 

紹介:AMDAの活動に彼女の前職を生かしての事務処理や現地案内ドライバーとして参加。震災により避難し、家族と共に避難所生活を送っている。(現地雇用復興支援プロジェクトに参加)

AMDAに参加することになったのは体育館に避難して数日たった時でした。仕事を一緒にしたことで「何か自分で出来るとがある」という自信にもなりました。印象に残っていることは、安渡地域を案内した時のことです。自分の知っている以前の町並みは無くなっていて、ぐるぐると道に迷ってしまったことです。AMDAのメンバーは、優しく見守っていてくれました。震災中、支えてくれる人達がいるということを感じました。
いまは、一日でも早く仮設住宅に入れることを願っている人はたくさんいます。私も、家族と安心して暮らせる日が早く来るといいなと思っています。

 

大念寺 大萱生 都さん 大槌町在住

 

紹介:大念寺住職の妻。お寺にて、子供たちとのコーラス、絵本の読み聞かせや女性グループの集まりなど、地域へのボランティア活動を行っている。

街中にあるこのお寺は、津波や火事の被害から逃れ小さな避難所となりました。初めの頃、道路は封鎖され物資も何も届かなく、お寺に避難してきた人たちと共に瓦礫を乗り越えて様々なものを確保していました。徐々にそのような状況も変化し生活を考える時期に入りました。その団結が力となり乗り越えられた気がします。時間の経過と共に、年代や性別に合わせた物が必要となってきました。ハンドクリームや絵本、子供のおやつなど、そのときにほしいものをAMDAさんに提供していただき活用させてもらいました。
これからも笑顔がたくさん見られる機会をつくろうと思っています。

 

山形県に避難している南三陸町志津川の若い女性からのお手紙

 

私たちは南三陸町志津川で被災してから、体調を崩したり、精神的に不安定になったりと暗い日々を送っていました。そんな時に、AMDAのスタッフのみなさん、ボランティアに来てくれたたくさんの人々に元気と前向きに生きる強さをもらいました。今もまだ先の見えない日々が続いてはいますが、何とかなるだろうと老え、深く悩まずに、とにか<笑顔でいようと思っています。病気だけではな<、愚痴や悩みを闇いて心を軽<してくれたり、子どもの相手をしてくれたりと本当に助かりました。ありがとうございました。