東日本大震災緊急医療支援活動 次へのステップ(2011/6発行ダイジェストNo.36掲載) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

東日本大震災緊急医療支援活動 次へのステップ(2011/6発行ダイジェストNo.36掲載)

東日本大震災緊急医療支援活動 次へのステップ

AMDA東日本大震災緊急支援活動 調整員 元持 幸子(大槌町出身)

 

頑張ろう!踏ん張ろう!東北・日本のフレーズが日本各地から聞かれるように、復興へ向けた動きが広がっています。この動きは次へのステップ、これからに向けたチャレンジへ踏み出すための背中を押しだすフレーズであるように思います。震災からの数ヶ月間の経過した今、私の生まれ故郷の将来や日本の未来に、目を向けられるようになりました。

東日本大震災の影響は、直接的に自然災害を受けた地域のみでなく、全国的被害として、電力・エネルギー問題や経済の低迷などが生じています。しかし、そのような状況においても被災地を応援し続けてくれる皆さんが、大勢いることを実感しています。AMDAにおける支援活動は、すばやく現場ニーズに対応した医療支援、物資の供給に始まり、日本はもとより世界各地から様々な支援が寄せられました。緊急医療支援においては助かる命・助かった命を支え、生活再建へ向けての人々の生きる力のベースを創っていると感じます。今回の震災におけるAMDAの人々を支える活動と私の気付きを「医・職・柔」(い・しょく・じゅう)としてまとめてみました。

「医」:震災直後、医療機関がゼロとなった地域に、緊急医療が入り命とその安全をサポートとなりました。瓦礫をこえて、避難される人々のもとへ医療を届ける訪問活動。避難所診療所における、多くの避難者の身心的ケアを行うなどの継続的な支援が4月20日まで行われました。その後、仮設診療所の開設と保険診療が始まり徐々に地域医療へと移り変わってきています。

「職」:震災当初から地域住民と共にAMDAは動いていました。地域情報の収集、物資運搬や訪問活動における地理的、人的関係のつなぎ合わせをしてくれた地元ドライバー雇用などがあります。震災で失った前職の経験等を活かし、支援活動への参加と共働の機会を通して、自分の可能性や自分への自信に繋がっている。という感想を聞くことが出来ました。人々の生活基盤整備や地域経済の復興は、今後の長期的な課題であります。共に支援活動に関われたおかげで、地域の繋がりや助け合いの相互扶助の豊かさと、人々の芯の強さや底力を確信することができました。

「柔」:柔軟に様々な支援活動を人や町の状況に合わせて行っていました。以前の穏やかな三陸の町は、現実問題として人口の過疎化、超高齢化、医療機関・医療従事者の不足などの問題も抱えているのです。震災後の町の変化としては、震災からの安全の確保の段階から生活の安心構築へと変わりつつあります。AMDAの支援活動は、医療、健康、栄養、子供や高齢者、物資、教育の支援など活動内容は幅広いものでした。今後、災害前の現状問題も含めた新たな価値を見出しながらの地域づくりが、求められているのではないでしょうか。

私自身、時間の経過とともに、震災の状況を振り返ることはできるようになってきました。これからは、地域の特性を活かせるもの、次世代へ手渡していくもの、次へ繋ぐ新たな価値に目を向けていこうと思います。