AMDA東日本大震災国際奨学金を受け取った生徒達の声(2011/7発行ジャーナル7月夏号掲載) – AMDA(アムダ)
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AMDA東日本大震災国際奨学金を受け取った生徒達の声(2011/7発行ジャーナル7月夏号掲載)

AMDA東日本大震災国際奨学金を受け取った生徒達の声

 


避難所体育館にかかげられた作品

AMDA東日本大震災国際奨学金は、将来医療職を目指す被災地の学生を対象に、月額15,000円を支給する返済義務のない奨学金です。当面AMDAが緊急医療活動を行った地域の学校6校を対象に3年間実施します。奨学生の選考はその在席校で行われます。すでに奨学金を受け取った生徒たちから、応募の動機や将来への希望を綴った作文がAMDAによせられました。その中からいくつかをご紹介します。近い将来、日本を背負って立つような人材が東北の地から輩出することを確信します。

 

◆この震災を通して

私は、将来、医師になりたいと考えています。今回の東日本大震災で、私の住む岩手県大槌町は、津波の被害で町のほとんどが、全て流され、壊滅状態となりました。自宅も全壊、父の努めている病院ももう使うことはできません。
そこで目にしたのが、いち早く避難所で病院を再開し、患者さんのための薬をかき集め治療にあたる父の姿でした。その姿を見て、より一層、医師になりたいという気持ちが強くなりました。
医師には、医療技術が大切だということはもちろんですが、私は、それ以上に、人を思いやる気持ち、人と人とのかかわり合いが大切であると、考えています。そのような医師になれるように、日々努力を惜しまず、がんばっていきたいと思います。そこで、この奨学金に応募しました。(2年生)

 

◆私の夢

私は中学校の時に県の医療関係者不足のニュースに興味を持ちました。私が住んでいた大槌という町でも、医師不足が問題になっていたので、身近なニュースでもありました。そこで、私は医療や健康に対する知識を高め、医師を求めるのではなく、健康な身体をつくるためのネットワークを広げることならできると思い、看護師になりたいと思いました。
また、私は今回の震災で、大好きな祖父を失いました。祖父は、身体が弱く、病院に通うことが多い人だったので、私は祖父と「絶対看護師になる。」と約束をしていました。いつか私が看護師になって働く姿を祖父に見せることはできないけれど、一生懸命勉強をして、看護師になって、一人でも多くの命を救う為に働ければいいなと思います。今回の震災では、本当にたくさんの方々に助けてもらいました。ご支援ありがとうございます。(2年生)

 

◆奨学金をいただいて

私が奨学金に応募した理由は、将来大学に入るためのお金が必要だと考えたからです。
私の父は二年前から右半身がまひの状態になり、車いすでの生活となりました。月に一度理学療法のリハビリを受けています。私は何度もそのリハビリを見ました。理学療法士は、障害者の体の状態をよくするだけでなく会話をすることで心の状態もよくしていました。障害者に希望を与えることができるこの仕事を自分もしたいと思いました。自分一人で立つこともできなかった父は、今ではつえを使い人が支えてあげることで歩くこともできています。理学療法士のおかげで父だけでなく私も含め家族みんなが笑顔になりました。絶対に簡単な仕事ではないと思います。AMDAさんからいただいた奨学金で良い大学に入り、たくさんの人の役に立てるように頑張ります。(2年生)

◆生活を改めて

もし、津波がきていなければ僕は今まで通り普通に生活していました。その「普通」というのは勉強を含めての普通です。
ですが、今までとはまったく違う環境に立ち、新しい生活が始まりました。勉強道具などの道具が不足していたときに奨学金をもらい本当に嬉しかったです。そして、そのお金をいただいたのですから今までの生活を改めなければなりません。勉強、部活、家事などを今まで以上に頑張り、大学進学を目指していきます。
今回の奨学金に僕はとても助けられています。生活面だけでなく気持ちの部分も助けていただきました。支えてくださった人達のためにも勉強時間の工夫をし、より効率のよい学習をし、部活は自主練習の質を高めて文武両道をしていきたいと思います。
今回は本当にありがとうございました。将来の夢に向かって頑張っていきたいです。(3年生)

 

◆将来の夢と希望の奨学金

私の将来の夢は医療従事者となってたくさんの人の役に立つことです。
私が住んでいる岩手県では医師不足が深刻な問題となっているので、その中で医師として岩手県の人の為に働きたいと思っています。
今回の震災で私は家が津波によって流されてしまい、避難所で約2カ月間生活しました。小さな町なのにたくさんの高齢者の人が自分が飲んでいる薬を流されてしまって困っている時に他の地域から来た医師団の人達が無償で診療していたり、相談に乗ってあげているのを見て自分も医師になってたくさんの人達に恩返しがしたいと考えました。ですが、医大に進むのにはたくさんのお金がかかってしまうので、この奨学金で学費の一部をまかなって、なるべく早く医師の資格を取り、たくさんの人たちに助けてもらった事を忘れずに医師として活躍したいと思います。(1年生)

 

◆将来の夢の希望の進路

自分は中学校三年生の頃から首の病気を持っています。もう一年もたちますが慣れることはないでしょう。そんな中で自分はたくさんの人々に会うことが出来ました。首専門の病院の先生方や首や腰のけがや病気のために入院している人々、自分はこの病気の事でいろいろな人達に出会い、話し、勇気や一生懸命頑張る事の大切さ、人とのふれあい等を学ぶことができまいた。自分だけが苦しんでいるのではない、もっともっとつらい人もいる現在を知りました。だからこそ自分がそんな人達の助けになりたい。力になることがしたいと考えたから、今、自信を持って医者になりたいと思うことができるのです。
自分は将来医者になりたいです。そして自分と同じように苦しんでいる人を助けたいと思っています。それは日本だけでなく世界にも向けていきたいと考えています。(1年生)

 

◆応募した理由と将来の希望

私は4才の時に父を亡くしました。突然の出来事でした。その時から家族はもちろんですがいろいろな人達に助けてもらって大きくなってきました。
そして高校受験です。自分の希望する進路に向かって頑張ろうと思った時にこの東日本大震災が起こりました。でも、この災害があってこのような奨学金がある事を知りました。姉や兄も他の奨学金をお借りして自分の希望する道を頑張って進んでいます。私も母の負担を少しでも減らしてあげたいと思い奨学金に応募しました。
将来を考えた時、今まで助けていただいた人達を今度は助ける側の仕事に就きたいと思いました。人と関わる事が好きなので看護師を目指します。今回の震災でいろいろな思いをした人達の手助けが出来るように地元を元気出来るように頑張ります。(1年生)

◆夢と希望を

3月11日に発生した東日本大震災の大津波により、私の家は全壊・流出しました。思い出の品々、教科書や参考書の全てがなくなりました。これから先どうしたらいいのか途方に暮れました。被災して暫くは釜石の小川体育館で生活しました。避難所にAMDAの医療チームの方々が応援に来て下さり、体調を崩したお年寄りや子ども達がほっと安心していたのを覚えています。実際、私も2度も体調を崩し熱を上げた時、私が寝ている所まで診察しに来てくれました。AMDAの支援のお陰でこれから先への希望が持てました。
私は将来看護師になりたいとずっと思っていました。今回の体験でさらにその気持ちが強くなりました。医療チームの働く姿を見て人々に安心と希望を与える仕事だと感じました。私も将来看護師になり地域に貢献できる人間になりたいと思いました。そのためにも勉強に励みます。ありがとうございました。(3年生)

 

◆奨学金をもらうにあたり

私は東日本大震災の折、家が大規模半壊になり両親も津波で失いました。母は見つかったのですが父は未だに行方不明です。震災前から、進路について悩んでいました。自分の好きな道か薬剤師になるかです。震災を体験し、人を助けることがしたいと思い薬剤師を目指すことを決めました。今、兄弟と私を祖父母が支えてくれるので私は学校に行くことができています。また、たくさんの人の支援を受け、そんな人々にあまり負担をかけず、自分なりに恩を返していきたいと思い、この奨学金に応募しました。生前母に一生懸命自分の決めた道を進めと言われました。母の希望を叶えるためにも私は勉学にはげみ、この体験をプラスに生かしていこうと思います。ご支援してくださる皆様の支援を生かしていくためにこれからがんばっていきます。このたびは、ご支援本当にありがとうございます。(3年生)

 

「AMDA東日本大震災国際奨学金」の設立

AMDAが受け大れたマレーシア、タイ、韓国、インドネシアの団体と、大槌高校避難所で3月29日国際会議を開催。「AMDA東日本大震災国際奨学金」の設立を決定した。