東日本大震災緊急医療支援 活動開始からこれまでの活動
経過概要
(4月11日現在)
(株)ノエビアアビエーション協力により チャータ便で岡山から花巻へ |
物資を乗せたトラック 大槌高校避難所に到着 |
【3月11日】東日本大震災発生 マグニチュード9.0の地震と大津波による甚大な被害が報道され、それを受けて直ちに医療チームの派遣を決定。
【12日】午前AMDA第一次医療チーム出発、宮城県仙台市内被災地入り。
【15日】仙台に医療チームを残し、医療チームメンバー出身地の岩手県釜石市、岩手県大槌町へ移動、新たな拠点として活動を開始。
【19日】宮城県南三陸町からの要請を受け、この日から医療チームの派遣を開始する。
なお、宮城県仙台市、岩手県釜石市の拠点についてはそれぞれ活動を終えて、現在は岩手県大槌町、宮城県南三陸町の2拠点での活動を行っている。巡回診療には、ガソリンの不足する中、岡山県総社市からの電気自動車が役立っている。被災地のニーズや派遣者からの活動報告を受けながら医療チームを派遣し、4月12日に出発する第24次派遣でのべ132名の派遣を行うこととなる。内訳は医師48名、看護師27名、助産師3名、准看護師2名、薬剤師3名、心理士2名、調整員(補佐、通訳含む)43名、介護スタッフ2名、鍼灸師1人、歌手1人。
【4月8日】AMDA『歌の処方箋』プログラムに賛同した演歌歌手北山たけし氏が、南三陸町志津川小学校に駆けつけた。
【物資支援】医療チームの派遣と並行して、被災地への物資の提供を行っている。被災地の派遣チームから、刻々とかわる必要物資のリクエストを受け、岡山の本部で物資を調達し大型トラック等で現地に届けている。(4月11日までに全7便。)
主な物資:医薬品、衛生用品、カルテ、超音波診断器、心電計、携帯充電器、生活支援物資、米、野菜、各種食料品及び飲料水、オートバイ、自転車、洗濯機、コンピューター、事務用品など。巡回診療車両の運転など、派遣チームだけでできない様々な仕事を、地元被災者の方に働く場として参加いただいている。
被災地医療支援活動の様子
避難所に常駐しての医療活動と、小さな避難所や自宅避難をされている方たちの巡回診療を行っている。
当初はインフルエンザなどの流行が懸念されたが、避難生活がほぼ一か月たった今、衛生状態が悪化する中、ノロ・ウイルスの発生が見られる。AMDA医療チームは診療活動に並行して、衛生習慣啓発活動や、清掃などを積極的に行い、流行を防ぐよう努めている。
避難所で暮らす人々は、心身ともに疲労が見られ、精神的な疾患が悪化している方も多く、精神科の医師や看護師を派遣するなどの対応も行っている。また鍼灸師の資格を持った医師による、鍼灸治療なども取り入れており、高齢者の方々に大変喜ばれている。
訪問診療時には、物資の宅配も行っている。避難所での体を動かすことが極端に少ない生活の中で高齢被災者の介護必要の度合いが高くなりつつある。体を動かすことを促すよう工夫している。
また広いスペースでたくさんの避難者が生活する避難所ではプライバシーが確保できないため、避難所に間仕切りを設置したり、個室を確保できる検査トラックを設置するなど、医療の周辺ニーズにも対応している。
今後の活動についての展望
検査トラックの設置 |
地元の医療施設が立ち直り、本来の保険診療、地域医療が復活することを目指し、地元の医師の復興を支援する「地元医師支援」、また、新学期を迎える時期にあたり、文具やランドセルを大槌町などに被災地へ送る「教育支援」、被災地の高校生を対象とした「奨学金プログラム」、など計画している。
被災地現場でAMDAスタッフに寄せられた声
「昨日、ずっと行方不明だった娘がDNA鑑定で見つかったの。最近は歯ブラシで鑑定できるのね…だから昨日ずっと眠れなくて…涙が止まらなくて…それで血圧も170以上になっちゃった。でもね、こんな時は押さえないで泣くほうがいいわよね」(血圧のお薬を取りに来た女性60代)
「今はここにたくさん緊急支援をしてくれる人たちがいますが、もうすぐ私たち地元住民だけが残るようになります。町の再建には何年も何十年もかかるでしょう。でも、同僚の分まで僕はここで町のために進んでいかないといけないですね…。」(県危機管理課の30代男性職員。5名の職員のうち、3名が死亡・行方不明)
「青いジャンパーを見ると元気がでるよ。いつも笑顔で元気だもんね。」(大槌町避難所の方々)