2010年度年次報告 緊急支援活動(2011/7発行) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

2010年度年次報告 緊急支援活動(2011/7発行)

2010年度年次報告 緊急支援活動

ハイチ地震復興支援(義肢支援・スポーツ親善交流・日本招へい)


岡山での交流会

◇実施場所 ハイチ共和国西県デルマ市(首都ポルトープランス市郊外)
◇実施期間 2010年5月1日〜2011年1月22日
◇派遣者
ハイチ共和国: 八尾直毅 義肢装具士、大前良輔 義肢装具士
ドミニカ共和国: 森田佳奈子 調整員
※スポーツ親善交流の随行:菅波茂、竹谷和子、石岡未和、ヴィーラヴァーグ・ニッティアン
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成
ハイチ共和国: マック・フレデリック 歯科医師・調整員

◇事業内容
2010年1月12日にハイチ共和国首都ポルトープランス近郊でマグニチュード7.0の地震が発生し、31万人以上の死者を出した。AMDAは2010年1月15日から約3か月間にわたり、延べ36人を多国籍医師団として派遣した。地震により肢体を切断した人が大勢いたことから、AMDAは2010年5月に義肢支援プロジェクトを開始した。2010年5月の時点で、義足製作工房はドミニカ共和国・エリアスピーニャ(ハイチとの国境の町)のローサ病院に設置される予定だった。しかしながら、ハイチ地震の震源に近いポルトープランスに義足製作工房を設置するほうがより効果的との観点から、ポルトープランス近郊で義足製作工房を設置する準備を進めた。

2010年8月16日〜25日には、ドミニカ共和国のサントドミンゴ自治大学で、ハイチ・ドミニカ共和国・日本の中学生たちによるスポーツ親善交流事業が行われた。ハイチから16人、ドミニカ共和国からは20人の少年が参加した。日本からは、大阪・岡山・広島から中学生17人と高校生1人が参加した。サッカーの交流試合の他に、文化交流、青年海外協力隊の活動する村の訪問、帰路のニューヨーク国連本部の見学が行われた。

2010年9月にようやくAMDA義足製作工房がデルマ市ダッシュ病院に開設された。9月下旬には、日本から送られた義足のリサイクル部品500点と、米国プエルトリコのOMEGA社で購入した大型機械(プラスティックを溶解する機械や研磨に使う機械)が到着した。9月末から本格的に義足製作活動が行われ、2010年9月末から12月末までの3か月間で42人の義足が完成した。2011年1月14日から1月22日まで、アムダから義足提供を受けたハイチ地震被災者のガエル・エズナールさんと、ハイチ・アムダ調整員のマック・フレデリックを日本に招へいし、阪神淡路大震災の震災障がい者の方々との交流を行った。

◇現地協力機関
ドミニカ共和国:在ドミニカ共和国日本大使館、在ドミニカ共和国ハイチ大使館、サントドドミンゴ自治大学、サンティアゴ科学技術大学、青年海外協力隊隊員
ハイチ共和国:ハイチ共和国西県デルマ市ダッシュ病院

 

キルギスタン国内避難民に対する緊急医療支援活動

◇実施場所: キルギス共和国首都ビシュケク、南部オシ州の州都オシ
◇実施期間: 2010年7月1日〜7月7日
◇派遣者: ヴィーラヴァーグ・ニッティヤン調整員(AMDA本部)、ガルバルシン・アベウオヴァ医師(カザフスタン支部)
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成 :AMDA派遣者と保健省が手配した同行者

◇事業内容
中央アジアのキルギス共和国で、2010年6月中旬にキルギス系民族とウズベク系を中心とする少数派民族との間で騒乱が発生し、犠牲者は208人にのぼった(6月21日政府発表)。報道では避難生活を送る住民は30〜40万人と言われた。AMDAは緊急医療支援チームを派遣することを決定し、本部から調整員1人とAMDAカザフスタン支部から医師1人を派遣した。今回の緊急救援ではキルギス共和国保健省から地域を問わず医療行為を行う許可を得た。また、安全確保のための同行者を手配という協力を得た。

首都ビシュケクではビシュケク国立病院、国立母子福祉センター、ビシュケク外傷・整形外科研究センターでは内乱で負傷した25名の患者と面会した。患者のほとんどに銃撃による被弾、骨折、頭蓋骨および脊椎の損傷等が見られた。病院側及び患者当人と相談した結果、患者本人が購入しなければならない予定だった医薬品をAMDAから寄贈した。

内乱の発端となった南部オシでは、現地NGOインタービリムと協力し、「オシ地区オン・アディール」「カラ・スー地区アク・タッシュ村」「オシ南部ユジュニィ村」「オシ地区『カマロヴァ』(障害者およびその家族を中心とした難民キャンプ)」の四つの地域において国内避難民に対する巡回診療を行った。4ヶ所のいずれのキャンプにおいても避難民の大半は女性と子供であった。これは男達が日中に自宅まで戻り家財を守っていた為である。主な怪我や病状については、高血症、頭痛、腹部における合併症、胃感染、被弾による外傷のほか、婦人病の症状も多く見られた。AMDAでは被災者家族に医薬品と衛生物資を寄贈した。ビシュケクとオシのいずれの避難民キャンプも基本的な生活物資が欠乏しており、医療ケアにおいては皆無だった。

◇派遣者の声
騒乱から2週間以上たった訪問時点でも、女性や子供達の多くが今回の惨事におののいていた。家族を失った者も少なくない。このほか、拉致被害に遭った避難者やガソリンに放たれた火で火傷を負ったけが人も見られた。ガルバルシン医師によれば、避難者の表情に精神的なトラウマが明らかであり、精神科での適切な処置が必要な状況だった。

◇現地協力機関
現地NGO「センター・インタービリム」

 

中国甘粛省の土砂災害に対する緊急支援活動

◇実施場所:中華人民共和国甘粛省
◇実施期間:2010年8月12日
◇派遣者:笹山徳治氏(日中青年交流協会理事長、四川省国際友好都市事業代表)
◇現地協力機関(市保健所、市役所など):中国四川省人民政府渉外部
◇協力団体:中国四川省人民政府渉外部

◇事業内容
2010年8月8日中華人民共和国甘粛省で豪雨による大規模な土砂流が発生し、付近の河川がせき止められて洪水が発生。甘粛省の南部に位置する四川省でも洪水の被害が報告され、中国政府によると、この災害により約1100人が死亡、約600人が行方不明となった(8月13日時点)。

AMDAは、2010年の四川大地震の緊急救援活動で調整員を務めた笹山徳治氏(日中青年交流協会理事長、四川省国際友好都市事業代表)を通じて、四川省人民政府渉外部に中国甘粛省の土砂災害に対する義捐金を贈呈した。

 

パキスタン洪水被災者に対する緊急医療支援活動とフォローアップ活動


寄贈したミシン

◇実施場所:パキスタン・イスラム共和国旧北西辺境州ノウシェラ県(Nowshera District, Khyber-Pakhtunkhwa Province)、シンド州タッタ県(Thatta District, Sindh Province)
◇実施期間:2010年9月2日から10月9日(緊急医療支援)、2011年1月(フォローアップ)
◇派遣者 計:8人
第1医療チーム(菅波茂医師、渕崎祐一医師、渡辺美英看護師、二ティアン・ヴィーラバグ調整員、土佐光章調整員)
第2医療チーム(細村幹夫医師、米田哲医師、松本圭古看護師、土佐光章調整員)
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成 計:12人
AMDAアフガニスタン支部の医師4人、看護師2人
AMDAインドネシア支部の医師2人、看護師1人
AMDAバングラデシュ支部の医師1人、医療助手1人、調整員1人
◇現地協力機関(市保健所、市役所など)
National Rural Support Programme (NRSP)
◇協力団体
特になし

◇事業内容
7月末からの長雨により建国史上最悪といわれる水害に見舞われたパキスタンでは、政府国家災害対策局の発表で、10月9日時点で、被災者約2000万人、死者推定1961人、負傷者2907人、破損家屋190万戸余りという発表に至った。AMDAは9月2日にAMDAアフガニスタンの医師2人をイスラマバードに派遣し、9月6日からAMDAアフガニスタン医療チームの医師2人・看護師2人が旧北西辺境州ノウシェラ県のアザクヘルキャンプ(ペシャワールから15km)で巡回診療を開始した。AMDAアフガニスタンは9月6日から9月30日までアザクヘルキャンプなどノウシェラ県内の避難キャンプで巡回診療を行い、合計で2464人を診療した。パキスタンでの洪水被害が南部にも拡大したことを受けて、9月16日からは南東部シンド州タッタ県にAMDA岡山本部から第1医療チームを派遣し、その後インドネシアチーム、バングラデシュチームが加わった。9月17日から10月8日までに南部で合計2515人を診療し、全体で4979人を診療した。

復興支援として2011年1月にAMDAの現地協力団体であるハムダード大学を通じて、カラチ郊外の避難キャンプに大型テント(30メートル×15メートル)を設置し、新しい10台のミシンを置き、被災した女性がパッチワークで掛け布団を縫い、それを売って現金収入を得ることができるように支援を行った。

 

AMDAチリ地震緊急医療支援活動半年後の追跡調査・支援活動

◇実施場所 チリ共和国 第7マウレ州タルカ県コンスティツシオン沿岸部
◇実施期間 2010年9月28日から10月5日
◇派遣者  調整員/森田佳奈子、看護師/石岡未和
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成 (合計44名)
ローカルコーディネーター: パブロ ガエテ氏
コンスティツシオン地域診療所(CESFAM Cerro Alto)所長(医師)、ソーシャルワーカー1名、準看護師3名、運転手3名
マウレ カトリック大学医学部:医学部長(医師)1名、専門医5名、医学部生(計29名)

◇事業内容
2010年2月27日に起きたチリ大地震(M8.8)で、AMDAは甚大な津波被害を被った第7マウレ州コンスティツシオンに多国籍医師団を派遣し、乳幼児のための健康・衛生指導を行って乳幼児支援プロジェクトに発展させた。

AMDA救援チームの帰国から3カ月後の6月に第1回追跡調査を行い、被災者への仮設シェルターは増えていても、電気・水道・ガスなど基本的なインフラの復旧は進んでいないことが分かった。継続する余震もあり被災者たちは長引く避難生活による疲労の色が濃く、早急な復旧の兆しを待ちわびていた。

そこでAMDAは地震発生から7カ月後の9月に、同地区へ再支援を行うことを決めた。

緊急支援でAMDAと協力した現地スタッフの他、マウレ カトリック大学(以下UCMとする)の医師・医学部学生と協力し、準備段階からチリ側と緊密な連携のもとに仕事を進めた。

活動内容はコンスティツシオン地域診療所が選出した12歳以下の子供を持つ家庭を対象に仮設住宅地区や巡回家庭訪問をし、集団又は個別で健康教育を行った後に物資を配給する、というものである。沿岸地域では、住民が過酷な環境下での生活を強いられていた。仮設シェルターで生活する人々は、仮設トイレや風呂場さえ不足しており、需要の半分しか満たされていないという状況だった。

UCM医学部の1年生と3年生は、コンスティツシオン診療所の外の仮設住宅地や近隣の貧困地域を巡回し、12歳以下の子供がいる120世帯を訪問して健康指導や物資の配給を行った。医学部生らは手作りのパンフレットを準備し、衛生習慣の大切さを強調した。UCMの専門医師らはクリニックの診療活動を手伝い、医学部5年生と6年生のグループは診療所内で地域住民への健康教育講座を行った。

UCMの学生が参加したことで、コンスティツシオン訪問は、被災者救援と医学生に大学では学べないプライマリー医療及び地域健康教育の訓練の場を与えるという、二つの目的を達成することになった。

<配布した洗面用具キット(120セット)>
シャンプー、石鹸、歯磨き粉、アルコールジェル、抗シラミシャンプー、抗シラミ用の櫛

◇受益者の声
沿岸部の漁村に住む老夫婦:
「また、来てくれてありがとう。地震後は家も仕事もなくなってしまって大変だったけど、親戚を頼ってなんとか仕事を始めた。街の中での物売りよ。生活は厳しいけど、生きていられたことに感謝している。また地震と津波が来るのは怖いけど、負けずにあの家に住み続けるわ。私はあの場所が大好きだから。」

避難所の母親:
「7ヶ月経って暮らしはよくなってきたけれど、子供たちが地震による恐怖体験のトラウマを持ってしまったよう。夜中うなされて起きることもあるので心配。」

避難所を取り仕切るヘルスワーカー:
「地震後、また私たちの所へ来てくれたのは日本のあなたたちだけよ!今も忘れずに覚えていてくれたことに感謝します。神の御加護を!」

◇現地協力機関
Universidad Catlica del MAULE(UCM:マウレ カトリック大学医学部)
CESFAM セロアルト(コンスティツシオン地域診療所)、
コンスティツシオン市役所・市長、厚生省タルカ地域保健事務所

 

スマトラ島沖地震に対する緊急医療支援活動

◇実施場所 インドネシア共和国西スマトラ州北パガイ島シカカップ
◇実施期間 2010年10月29日〜11月2日
◇派遣者
ドナルド・ドダ 麻酔科医 インドネシア・ハサヌディン大学医学部付属病院勤務
ファハルディン 麻酔科医 インドネシア・ハサヌディン大学医学部付属病院勤務
バスタミン 看護師 インドネシア・ハサヌディン大学医学部付属病院勤務
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成 上に同じ

◇事業内容
インドネシア共和国スマトラ島沖で2010年10月25日夜に震源地をスマトラ島西側のメンタワイ諸島の南280キロとし、震源の深さは水面から約20キロ、マグニチュード(M)7.7の地震が発生。これに伴う津波の高さは3〜4メートルに達し、最も被害が大きい南・北パガイ島では内陸部の数百メートル中まで波が入り込み、10か所以上の村が壊滅状態となった。津波の死者は10月28日時点で370人に達し、行方不明者は338人にのぼった。

AMDAインドネシア支部から2人の医師と1人の看護師が、支部のあるスラウェシ島のウジュンパンダンからジャカルタを経由し、現地時間の10月29日にスマトラ島パダンに到着。AMDAインドネシア医療チームは、パダンから船泊を経て、10月31日に北パガイ島シカカップに到着。国家防災庁や地元保健当局で情報収集した後、シカカップ保健所での医療活動に従事した。翌11月1日にはシカカップ保健所から500mほど離れたシカカップ軍医療支援第一ユニット野外診療所での医療活動に従事した。僻地にも軍や他の支援が入っており、シカカップにも充分な支援医師がいることから、AMDAインドネシアチームは11月2日に北パガイ島での緊急医療活動を終え帰郷の途についた。

◇現地協力機関
シカカップ軍医療支援第一ユニット野外診療所

 

インドネシア火山噴火被害に対する緊急医療支援フォローアップ活動

◇実施場所 インドネシア共和国中部ジャワ州マゲラン県
◇実施期間 2010年11月16日〜11月23日(緊急支援)、2011年5月5日〜8日(フォローアップ)
◇派遣者  石岡未和 看護師(AMDA本部)、米田哲 小児科医師(メータオクリニック/タイ国勤務)
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成
麻酔科医2人 ハサヌディン大学医学部付属病院勤務(スラウェシ島マカッサル)
医学生1人 ハサヌディン大学医学部(スラウェシ島マカッサル)
通訳2人(柳井彰人 ジャカルタ在住交換留学生、インドネシア人通訳)
YKPスラカルタ トミリヤント事務局長

◇事業内容
2010年11月5日、インドネシア中部ジャワ州メラピ火山の大規模な噴火により、呼吸器疾患外来患者17,770人、避難者30万人、死者168人(数字は11月9日付WHO情報)にのぼる被害が発生した。11月16日にAMDAは本部とインドネシア支部から医師、看護師等を派遣した。

AMDA医療チームは、11月18日からマゲラン県内で巡回診療を開始した。ジャワ島ではジャワ語しか話さない高齢者が多く、スラウェシ島から来た医師らでも通訳が必要となる場面があった。地元のボランティア団体「YKPスラカルタ」のトミリヤント氏や地元大学生の通訳を介することで、AMDAの医療支援活動を円滑に行うことができた。巡回診療では11月18日から23日までに515人の患者を診療した。呼吸器感染症、慢性疾患、胃炎、疲労の訴え(不定愁訴を含む)が多く見られた。ところによって、火山灰による眼痛や皮膚の掻痒感、下痢が多い。11月22日にはマゲラン県内の2つの村落で、支援物資8000人分の配給を行った。内訳は、毛布200枚、米800kg、砂糖200kg、塩20kg、ニンニク30kg、赤玉ねぎ60kg、黒ケチャップ小袋(14ml)1152個、茶150箱、油2リットル。

火山噴火発生から半年経った2011年5月5日〜8日には、マゲラン県でフォローアップ活動を実施した。マゲラン県バンジュドノ村では、2010年11月の噴火の際に住民が避難し、幸いにも死者はあまり出なかった。しかし、溶岩により田んぼや村の共同墓地20ヘクタールが被害を受けた。5月8日、墓地移動や排水溝清掃のボランティア活動に参加した地元住民およそ100人にAMDAの支援物資(米400キロ、砂糖150キロ、調理用油168リットル、果物・お茶400セット)を手渡した。

◇受益者の声
日本の人びとは津波の被害を受けたにも関わらず、まだ私たちのことを考えてくれている。日本の人びとの支援に大変感謝します。(フォローアップ活動に参加した地元住民ボランティア)

◇現地協力機関
YKPスラカルタ
インドネシア語でYayasan Krida Paramita Surakarta: YKPSurakarta
1989年設立 地域保健開発分野や生活向上のための事業を実施。調査研究・人材育成なども行っている。

 

ハイチ コレラ対応緊急医療支援

◇実施場所: ハイチ共和国ポルトープランス、サンマルク、フォンテネグ。ドミニカ共和国サント・ドミンゴ
◇実施期間: 2010年12月1日〜12月26日、2011年1月23日〜2月15日
◇派遣者:  医師:菅波茂(ADMA代表)、朴 範子(広島市)、山本太郎(長崎市)、看護師:松本明子(長崎市)、調整員:ヴィーラヴァーグ・ニッティヤン(AMDA本部職員)の計5名。
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成: 上記チームに、ドミニカ共和国サント・ドミンゴ在住の森田加奈子調整員(AMDA駐在員)、カナダ在住のオズボーン助産師(AMDAカナダ支部)とメアリー・ルー看護師(同)の計3名が現地で参加。

◇事業内容
ハイチ共和国の首都ポルトープランス近郊では、2010年1月の大地震後、仮設テント生活を続ける人が多い中で、10月中旬からコレラの感染が急速に広がりました。AMDAは11月に緊急医療支援を決定し、12月1日に菅波代表、松本看護師、ヴィーラヴァーグ調整員が、同5日に朴医師(1月の震災後の救援にも参加)、同8日に山本医師(長崎大学熱帯医学研究所)がハイチに向け出発しました。

現地ではハイチ保健省の決定に従い、首都の西約120kmのフォンデネグ市内にあるサルベーション・アーミー(救世軍)病院で、同病院のスタッフと共に12月7日〜24日の16日間で108人のコレラ患者を診療しました。必要な医薬品(経口補水剤、乳酸リンゲル輸液、亜鉛液体、抗生物質、点滴チューブ、使い捨て手袋など段ボール箱324個分)は森田調整員が隣国ドミニカ共和国で調達し、陸路輸送で同病院に寄贈しました。12月17日からは森田調整員とAMDAカナダ支部のオズボーン助産師が、クリスマス休暇で人手不足となった病院で看護に奮闘しました。

救世軍病院には、コレラ治療に不可欠な患者隔離用コレラ治療施設(CTF:Cholera Treatment Facility)がなく、AMDAは12月26日で一旦医療活動を終了しました。しかし患者は増え続け、同病院からの要請を受けて、再びAMDAカナダ支部のメアリー・ルー看護師とドミニカ駐在の森田調整員を派遣しました。2名は2011年1月23日にフォンテネグ市に到着、MDM(世界の医師団:MEDECINS DU MONDE)や救世軍病院等が共同で1月24日に開設したCTFで活動しました。

◇現地協力機関
在ドミニカ共和国日本大使館、ハイチ保健省、フォンテネグ市内のサルベーション・アーミー病院、WHO・PAHO(汎米保健機構/WHOアメリカ事務局/The Pan American Health Organization)、世界の医師団(MDF)

 

ブラジル洪水被災者に対する緊急医療支援活動


総社市職員タン氏

◇実施場所 ブラジル連邦共和国 リオデジャネイロ州 ノバフリブルゴ市
◇実施期間 2011年1月18日〜2月13日
◇派遣者
譚俊偉 総社市役所市民環境部人権まちづくり課国際交流推進係多文化共生推進員、総社ブラジリアンコミュニティ会長、サンパウロ出身、
石岡未和 看護師、AMDA本部職員
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成
ノバフルブルゴ日系協会 渡辺会長(2月12日の活動に同行)

◇事業内容
ブラジル連邦共和国リオデジャネイロ州で2011年1月11日に台風による大雨の被害が発生した。豪雨に伴う洪水や地滑りで800人を超える犠牲者が出た。ブラジルでの自然災害による人的被害としては、過去最大規模の惨事。家を失うなどして、約1万4000人が避難を余儀なくされた。このような状況をうけ、AMDAではAMDAグループと連携を結んでいる総社市と協議し、合同ミッションとして総社市嘱託職員のブラジル人である譚 俊偉(たん しゅんわい)氏とAMDA本部スタッフで看護師の石岡未和の派遣を決定した。

派遣チームは1月18日に日本をたち翌日ブラジル・サンパウロに到着し、20日にリオデジャネイロに移動。被害の大きかったノバフリブルゴ(Nova Friburgo)市は山奥にある町で、ブラジル陸軍・海軍が避難所を設営し、ブラジル赤十字が巡回診療を行なっており、生活支援物資の配給は、地元の行政機関や教会が行なっていた。しかし、降り続く雨によっていつ再び土砂災害が起こってもおかしくない状況が続いていたため、住民に安全な場所まで支援物資を取りに行かなければいけない状態であった。AMDAは「支援物資へのアクセスが難しい人々への直接的な物資の支援」としてリオデジャネイロ市で豆乳粉ミルク缶 250缶を調達し、2月12日ノバフリブルゴ市の被災家族へ豆乳粉ミルク缶を届けた。また、日系家族の方への義捐金支援も行った。

◇現地協力者の声
ブラジル赤十字 リオデジャネイロ支部 副支部長より。
「地球の反対である日本からわたしたちの支援に来てくれたことに感謝します。ブラジルには日本文化が馴染んでおり、ブラジル人は日本人が大好きです。日本は阪神大震災の大きな被害から復興し、地震などの災害対策が進んでいるとテレビで見ました。私たちも日本の災害に対する備えを見習いたい。いつか、きれいに戻ったブラジルを見に戻って来てください。」

◇現地協力機関
ブラジル赤十字、在リオデジャネイロ州日本国総領事館、リオデジャネイロ州日伯文化体育連盟

 

ニュージーランド地震緊急医療支援活動

◇実施場所 ニュージーランド南島中部クライストチャーチ市
◇実施期間 2011年2月24日〜3月4日
◇派遣者
ニッティヤーナンタン・ヴィーラヴァーグ 調整員/AMDA本部職員
石岡 未和 看護師/AMDA本部職員
村上 拓 岡山大学医学部医学科3年/AMSAメンバー
◇現地での参加者を含めた事業チーム構成
プニ・エミソ メドセン病院院長/外科医/サモア独立国首都アピア在住
武田 未央 保健師/ニュージーランド オークランド市在住

◇事業内容
2月22日ニュージーランドのクライストチャーチ市でマグニチュード6.3の地震が発生した。震源の深さは約5キロと浅く、多くの建物が倒壊した。地震直後はクライストチャーチ市内の80%で断水になり、飲料水の確保が急務とされていた。また、液状化による道路、橋梁への被害も大きかった。3月3日のニュージーランド政府発表によると、確認された死者数は161人、行方不明者は200人以上だった。

AMDA本部の調整員と看護師の2人は、2月24日に日本を出発し、翌日クライストチャーチ市へ入った。オークランド市在住の武田保健師と、サモアのプ二外科医が現地で合流した。

サモア独立国から参加していたプニ医師は、2 月28日から3月2日までオーストラリア医療チームと共にアラヌイ地区の大型医療テントで診療活動を行った。チーム全体で一日約140人の患者を診療した。プニ医師は3日間で40人の患者を診療した。婦人科疾患、頭痛、身体の痛み、外傷・打撲などが多くみられた。

日本人の派遣者3人(保健師1人、看護師1人、医学生1人)は日本人安否不明留学生ご家族の付き添いや、外務省とニュージーランド警察からのご家族への説明会への随行、体調不良の方への対応、ご家族の方の話を聞くなど、24時間体制でご家族の心のケアを中心にサポートを行った。

ヴィーラヴァーグ調整員は、現地でのニーズを調査し、岡山県から託された貯水用ボトル(10リットルサイズ)200個のうち160個をクライストチャーチ市のヌゲール・バトン副市長へ贈呈した。40個はクライストチャーチ市のアラヌイ地区・ホーンビー地区の教会に直接渡し(3月1日)、教会を通じて被災した25〜30家族に配っていただくことにした。

◇受益者の声
娘さんが安否不明のお父さんから寄せられた手紙2月28日付

『NZの皆様、日本の皆様へ』
私の娘は「世界に通じる医療従事者」を目指して語学研修中に、今回の地震にあいました。わずかな望みを持ってNZにやってきましたが、残念ながらまだ発見されず、生存は絶望的です。ここで出会った皆様方の温かい対応・支援に、感謝の意を述べさせていただきます。

地震発生直後からNZ政府は非常事態宣言を発し、文字通り政府・国民が一体となり救出活動にあたっています。その献身的な姿を見て、はるか9000kmも離れた地に留学先を選んだ娘の思いに納得しました。

日本政府は、地震発生直後から、外務省、現地NZ大使館、クライストチャーチ領事館を中心に総力を上げて対応されています。被害を受けた家族が、ややもすると甘えがちになる事柄にも真心を持って対応していただいている姿に頭が下がります。

私の娘の留学先を斡旋してくれた会社は、地震発生以降、つらくて寝れない家族に対し、24時間、1〜2時間ごとに情報を流し続けてくれ、励まし、サポートしてくれました。

娘の友人はあらゆる手段を使って応援してくれました。現地に入るとボランティアの方々が親身になってサポートして下さっています。会社の指示で、急遽任務につかれた方々も、自分を見失いがちな家族の気持ちに寄り添って、対応してくれています。

メディアの方々も被災者の立場をよく考え、核心に迫る報道をしてくれています。まだ娘は見つかりませんが、多くの人々に支えられている娘は、幸せ者だと感じています。

そして、何よりも高い技術力と崇高な精神をお持ちの各国の救援隊、レスキュー部隊の方々は、余震の続く中、危険もかえりみず救助に立ち向かっておられます。ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

最後になりますが、救助にあたる方々が二次災害を受けられない事を、心よりお祈り致します。
以上

◇現地協力機関
パートナーシップ・ヘルス・カンタベリー(ニュージーランドの公衆衛生NPO、http://www.partnershiphealth.org.nz/Content/about-us.html)

 

東日本大震災 緊急支援・復興支援活動


仙台市避難所での診療

岡山空港よりプライベート便で出発

総社市からの電気自動車 釜石市

◇実施場所:宮城県/仙台市若林区・青葉区、南三陸町、岩手県/釜石市、上閉伊郡大槌町
◇実施期間: 緊急支援2011年3月11日以降次年度に継続
◇3月31日までの派遣者:菅波茂医師AMDA理事長含む101名(医師37名、心理士1名、看護師17名、准看護士1名、助産師2名、介護士2名、薬剤師3名、調整員38名)

◇事業内容
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9.0と国内観測史上最大規模で、直後の巨大津波は沿岸部に広く壊滅的な打撃を与えた。地震報道直後に緊急医療支援チームの派遣を決定し、翌12日夜には本部職員2人と医師1人が仙台市に到着した。13日にはインド出張中の菅波代表が急きょ帰国し、他の医師ら5人と共に仙台へ入った。3月中旬に活動地が岩手県釜石市・大槌町と宮城県南三陸町に確定すると、一週間交替で被災地に医師・看護師・調整員を派遣した。津波による死者・行方不明者数が多大な一方、地震での直接の負傷者は少なく、避難所の医療ニーズは、慢性疾患やストレスの治療、電気や水道が復旧しない中での寒さや衛生状態悪化による感染症対策が中心となった。AMDA医療チームは、避難所に医務室を設置して診療を行ったり、避難所や個人宅の巡回診療を行った。また、現地からのリクエストに従って、医療用品、食料品のみならず様々な大量の生活支援物資を手配した。3月末までに岡山から4便のトラック物資輸を行い、他にもチャーターフライト便での派遣者移動にあわせ毎回物資の持ち込みを行った。(食料品、医薬品、カルテ、医療検査機器、飲料水、下着など生活支援物資、携帯充電器、事務用品など)。

◇受益者の声:
「AMDAは避難者の気持ちに配慮した取り組みを数多くやってくれた。何よりも、避難所運営に係わって教職員の最強のパートナーとしてどんなに助けられたことか。」(大槌高校 高橋校長)

「AMDAチームには長期にわたり救護救援活動をしていただき、迅速な対応には目をみはるものがありました。」(南三陸町 被災医師)

「駐在するAMDAの医師が変わることもありましたが、誰もがAMDAの医師として信頼し治療を受けていたので、医師が変わるたび『寂しいね、残念だね、感謝だね』と会話していました。」(釜石中学校避難者)

◇現地協力機関
<活動要請者>:宮城県、岩手県、仙台市医師会。
<初動時の拠点と輸送>:「明るい社会をつくる運動」新潟支部、NPO法人ひなたぼっこ(仙台市青葉区)。
<医療活動拠点>:岩手県釜石市立釜石中学校、釜石市立双葉小学校、釜石市民体育館、岩手県立大槌高等学校、大槌町立寺野体育館弓道場、宮城県南三陸町立志津川小学校、南三陸町総合体育館及び「平成の森」避難所。