2011年を迎えて―「市民参加型人道支援外交」の年に―(2011/1発行ジャーナル1月冬号掲載) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

2011年を迎えて―「市民参加型人道支援外交」の年に―(2011/1発行ジャーナル1月冬号掲載)

2011年を迎えて―「市民参加型人道支援外交」の年に―

                          AMDAグループ 代表 菅波 茂

 

20世紀は大きなイデオロギーの時代だった。実体のない、主義と名がつく動きに振り回された時代ではなかったのか。「Global thinking, Local action」である。「国際人」がその象徴だった。

世界の人たちが日本に関心を抱く3つの項目がある。「平均寿命世界一」、「戦後の奇跡的な経済復興」そして「幕末の非植民地化」である。日本人ならこの3項目に答えを用意しなければならない。この3項目を達成した日本人は「国際人」だったのだろうか。むしろ、自分の職業、自分の生活そして自分の家族を大切にした人たちだった。

 昭和44年に小田実の「世界なんでも見てやろう」を懐に抱き、アジアを10ヶ月間のヒッピーほろほろ旅をした。昭和46年にミャンマーとの国境地帯にあるタイの少数民族の開拓農場に、医学生主体の、第一次岡山大学クワイ河医学踏査隊を派遣して寄生虫や日本脳炎の調査をした。以来40年になる。昭和59年に設立したAMDAは、現在では国連NGOとして29ヶ国に支部をもち、今までに52ヶ国、120件以上の紛争地や災害被災地に多国籍医療チームを派遣してきた。海外にも多くの信頼できる友を得た。しかし、誰一人として「国際人」はいなかった。家族を、故郷を大切にしている人たちだけだった。「Local thinking, Global action」が事実だった。

 「自分の職業、自分の生活そして自分の家族を大切にしている人」を共通項に、紛争や災害時に助けられた側の市民が次回には助ける側になる、相互扶助の下に信頼構築をして世界平和に寄与する。これが市民参加型人道支援外交である。ただし、世界の80%が血縁共同体社会であり、血のつながりのない他人にとってそれは絶縁共同体社会である。その絶縁共同体社会に他人が迎え入れられる数少ない機会が、紛争や災害により、命の存亡の危機に瀕した時の「まさかの時の友が真の友」となる時である。世界の市民間の信頼構築の入り口開門である。

 第二次世界大戦で日本は国内外に膨大な数の死者をだした。「世界から孤立しないこと」が日本の外交の基本である。外交には3種類ある。国家だけができる外交。国家と民間が共同でできる外交。民間のみができる外交。国家だけができる外交の限界が21世紀の課題である。BBCの調査によれば、日本は世界で最も嫌われていない国である。最も好かれている国ではない。少しでも好かれる国になる。親日を増やす。これが人道支援外交の目的の一つである。

21世紀は政治・経済的に大混乱の時代である。国家やNGOが人道支援を専門とする時代から、市民が人道支援に直接参加する時代が来た。なぜなら、信頼にもとづく人間関係がすべての基本となる時代になるから。