パキスタン洪水緊急医療救援活動
アフガニスタンチームの巡回診療風景 |
パキスタンでは2010年7月下旬から続いた大雨により8月に入いり北部インダス川上流で洪水が発生し、徐々に洪水範囲は南部にまで広がり、全土122県のうち79県が被災し、被災者2000万人、死者1900人余りに上る建国史上最悪といわれる災害となりました。AMDAでは第一次派遣として北部のアフガン難民が多く居住する被災地ノウシェラ県アザクヘルにアフガニスタン支部医療チームを派遣、続いて南部タッタ県に日本チーム、インドネシアチーム、バングラデシュチームを派遣、計4か国から医師11人、看護師6人、調整員3人の計20人が巡回診療に従事し、約5000人の患者を診療しました。日本からの派遣者の渡邊美英看護師の活動日誌から一部抜粋と、米田哲医師からの報告抜粋をご紹介します。
渡邊美英看護師の活動日誌より抜粋
ケガの手当をする渡邊看護師 |
9月19日 ダルヤカーン バッティ村で診療。患者数76人。堤防の上に点在する難民キャンプ。もちろん「電気・ガス・水道」はないが、人も家畜も共存している状態。堤防の斜面にはヤギやロバ、牛の糞に混ざって人のそれもが点在し乾燥している。乾燥した糞が砂漠の砂と混じり合い、川からの突風で常態的に舞い上がっている。私たちも4時間「全身糞まみれ」状態だった。しかし菅波代表が朝から合流されたため、代表が「女性・子ども」、渕崎医師が「男性」と分けて、多くの患者を診察することができた。
9月21日 ダルヤカーン バッティ村で再診療。患者数49人。前回19日に菅波代表が診た40℃以上発熱していた1歳の子どものことを皆で心配していたが、今日元気な姿が見えた。日本ならば入院、点滴治療のところ、その子に渡せたのは内服薬だけで、しかも栄養状態も悪かったので、亡くなる心配をした程だった。子どもの生命力にびっくり。今でも元気でいてほしい。
《感想》生活水の汚れとダニに悩まされた2週間だったが、日本人もインドネシア人もスタッフに恵まれて楽しく活動できた。活動にあたりまわりのすべての人に感謝します。わがままを聞いて行かせてくれた職場のスタッフに。一緒に活動した渕崎医師や寝る間も惜しんで調整員の仕事をしてくれた土佐さんに。そして何より参加を応援し、2週間を一人で過ごしてくれた夫に心から感謝します。全ての人が、愛情や癒しをもらったら、次は自分のまわりにその愛情や癒しをあたえていけたら・・・と思います。機会があればまた参加させてください。
(渡邊看護師は2度目のAMDA緊急救援活動への参加。)
米田哲医師の活動報告より抜粋
巡回診療中の米田医師 |
当初は、多くの被災者が長期にわたる避難生活を過ごしていることから、下痢疾患や感染症の発生を懸念していたが、現地では、被災者がかなり広い地域にわたって避難していたことから、被災者が密集することがなく、また、現地NGOが速やかに水の確保やトイレの整備、そして水に混ぜる消毒薬を配布していたため、幸いなことに感染症の爆発的な発生はみられなかった。マラリアが流行しているとの情報もあったが、患者数は少数であった。結果として、我々が診察した患者の疾患は、日本や諸外国で一般的にみる疾患分布とほとんど変わらないものであったが、昨年のインドネシア・スマトラ島沖地震の際と比較すると、小児の栄養障害、それも重度の栄養障害が目についた。また、成人の栄養障害の患者の多くは女性であった。もともと貧しい住民が多く住む地域であり、洪水被害の前からの栄養障害なのか、洪水の後に、避難所で食糧を手に入れることができずに起きてしまったのかは分らないが、いずれにしても、貧しい地域で、災害が起きると、一番被害を受けるのは社会的弱者である。現地NGOに事情を説明したところ、非常に関心を持っていただけたので、我々が活動を終了した後に現地で活動するNGOに情報を引き継いでもらうと共に、長期的な治療や食料支援をお願いすることができた。地域によって栄養障害の患者や皮膚疾患の患者の割合に差があるということは、地域によって食糧が不十分であったり、皮膚を清潔にできていない可能性があり、これもNGOに情報を引き継いで、長期的な視野で支援をお願いした。
(米田医師は昨年に続く2回目のAMDA緊急救援活動への参加。この後11月のインドネシア・メラピ火山噴火緊急医療支援にも参加)
【派遣者】
日本から
医師/菅波茂、渕崎祐一、細村幹夫、米田哲、
看護師/渡邊美英、松本圭古、
調整員/土佐光章、ヴィーラヴァーグ・ニッティヤン。
アフガニスタンより医師4人、看護師2人、
インドネシアから医師2人、看護師1人、
バングラデシュから医師、看護師、調整員各1人。