ハイチ地震被災者への義肢支援プロジェクトの開始(2010/4発行ジャーナル4月号掲載) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

ハイチ地震被災者への義肢支援プロジェクトの開始(2010/4発行ジャーナル4月号掲載)

ハイチ地震被災者への義肢支援プロジェクトの開始

AMDAグループ代表 菅波 茂


ゴナイヴ病院で手術する
コロンビア・カナダAMDA支部合同チーム

両足切断の被災患者

2010年1月12日(現地時間)に発生したハイチ大地震は11万人の死者と220万人以上の被災者をだした。AMDAは日本、カナダ、ペルー、コロンビア、ボリビア、ネパールそしてインドの7ヶ国から合計30名の整形外科医や外科医を主体とした多国籍医師団を2ヶ月間にわたり派遣した。ハイチ全体で4千人の被災者が骨折などの原因で四肢を切断している。ハイチ復興計画で、国連が各国に要請している支援項目に義肢がある。残念ながら、国の統治機構が崩壊しているために、国際社会からの支援も被災者にはなかなか届きにくい現状である。

AMDAはハイチ被災者に対して義肢支援センターの開設と運営を決定した。対象数は3百名。2百名はハイチ人で百名はドミニカ共和国の人である。ハイチ被災者四肢切断者4千名の5%になる。義肢支援センターの場所はドミニカ表和国のハイチ国境沿いの町エリアスピーニャにあるローサ病院である。義肢支援センターの責任者となるのは、義肢製作者として2年間ドミニカ共和国に派遣されていた、元青年海外協力隊員の八尾直毅氏である。首都のサントドミンゴでは、同じくドミニカ共和国に派遣されていた元青年海外協力隊員の、森田佳奈子氏が調整員の任にあたる。八尾氏には、AMDAのハイチ大地震被災者救援活動中に、義肢支援センター設立の可能性の調査に協力していただいた。森田氏にはハイチ大地震に続いて発生したチリ大地震被災者救援活動に調整員として卓越した手腕を発揮していただいた。両者共に情熱あふれる若者である。義肢支援センターは2年後に地元のNGOに寄贈し、義肢利用者のアフターケアーを継続する予定である。

AMDAは今までに難民や災害被災者救援医療活動を実施してきたが、義肢プロジェクトの経験は全く無い。アフガニスタンやカンボジアなどの国々には地雷により義肢を必要とする人たちがたくさんいる。日本にはこれらに人たちに対して実績のある優れたNGOが数多くある。加えて、AMDAにはその余裕も無かった。しかし、今回は事情が全く異なっている。AMDA多国籍医師団は救命のために多くの被災者の四肢を切断せざるを得なかった。四肢を切断された被災者は命が助かっても、最貧国のハイチでは極貧の生活が待っている。自問自答していた。幸いにも、救援医療活動中に、八尾氏などの義肢プロジェクトに不可欠な人たちと現地で知り合うことができた。ドミニカ共和国政府の合意も得られそうである。

AMDAはハイチ大地震被災者に対して三つの支援事業の継続を決定した。義肢支援センターの設立と運営、野球やサッカーなどのスポーツ導入による復興支援、そして雨季に予測される災害医療支援である。日本から遠く離れたカリブ海の国に対する支援事業であるが、成功の自信はある。根拠は3つある。一つはAMDA中南米支部の結束力である。二つ目は八尾氏や森田氏などの若い世代の情熱である。三つはAMDAのハイチ復興に支援をしてくださる方々の存在である。AMDAが挑戦するハイチ地震被災者義肢支援センタープログラムに暖かいご理解とご支援をよろしくお願い申し上げたい。