沖縄支部 ハイチヘ医師を派遣して(2010/3発行ジャーナル3月春号掲載) – AMDA(アムダ)
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沖縄支部 ハイチヘ医師を派遣して(2010/3発行ジャーナル3月春号掲載)

沖縄支部 ハイチヘ医師を派遣して

AMDA沖縄支部長/医療法人寿仁会沖縄セントラル病院
            理事長 大仲 良一

 


渡久地医師

 AMDA沖縄支部が設立されたのはAMDA本部設立に遅れること10年、1994年10月でした。それまで、那覇西ロータリークラブのメンバーとして、ポリオ撲滅のためインドのポリオの実態調査をはじめ、ラオスでの医療実態調査、フィリピンでの病院新設、ペルー孤児院の校舎建設等に携わる中で、偶然菅波代表にお目にかかり、AMDAの理念と実績に感動したことがきっかけでした。

 沖縄支部は、AMDA本部の要請に基づいて、この度のハイチ地震緊急支援以前にも、2005年グアテマラ豪雨緊急支援、2001年エルサルバドル地震緊急支援、1998年ニカラグア洪水緊急支援等、合計7回の緊急支援活動に参加してきました。今回のハイチ地震の活動でも、過去の経験を踏まえ、中南米地域の実情に詳しい渡久地医師を派遣しました。身の危険を覚悟して、率先して被災者のために医療支援活動に赴いて下さることに、心からの敬意を表す次第です。同時に、先生の安否を常に気遣ってこられたご家族の皆々様の深いご理解があってこそ先生の決断が得られるもので、感謝に堪えません。これも渡久地先生ご夫妻が、南米ペルーに生まれ、大変なご苦労と努力の後に[医師]としての現在があることを深く認識され、心身共に病んでいる人々のために些かでも役に立ちたいという、思いがあるからだと考えております。我々はそのような先生を後方でしっかりとサポートしなければなりません。

 これまで、沖縄支部は緊急救援活動への医師・看護師の派遣や発展途上国からの研修医の受け入れ、更に医療機器、医薬品などの寄贈を実施してきましたが、これらの活動は沖縄セントラル病院を核とした比較的個人レベルでの国際貢献という域を出ませんでした。

 今後はAMDAのネットワークの中で、沖縄発の世界平和への国際貢献を目指し、沖縄支部が組織として更に活動の質・量とも充実できるよう、専門スタッフと会員の増加に努めると共に、緊急支援活動に即応できる体制作りに努めたいと考えております。

 沖縄は半径3000km以内にアジアの主たる国々を抱し、アジア地域における緊急支援活動には最も良い条件を備えています。また、沖縄県民は去る大戦で唯一地上戦を体験し、その後四半世紀アメリカの支配下で過酷な生活を余儀なくされてきました。しかし、苦しい生活の中でもよき沖縄の風習である「ゆいまーる(互助の精神)」や「いちゃりばちょーでー(何かの縁で出逢えたものは皆兄弟)」という、何ものにも代え難い宝があり、自然の中に人の痛みを分かち合える県民性があります。一方、数百年続いた琉球王朝時代から中国大陸、アジア地域をはじめ諸外国との自由な交易を重ね、独特な文化を築いてきたという自負と、古くから諸外国に広く門戸を開いてきたという歴史があります。廃藩置県後、県民の生活は苦しさを増し、他の貧しい県と同様に国家の施策により、沖縄からも多くの移民が豊かな新天地を求めて中南米に移住し、その二世・三世の方々が今や政財界をはじめ、医療、教育界でも活動しています。このような沖縄県系人を介した支援ネットワークを構築し当該地での医療・保健活動を段階的に推進して行きたい。以上のように他府県にない条件を活かしつつ、活動の輪を拡げて行きたい。同時に、AMDA本部からの支援とご指導を切にお願いする次第です。