チリ地震:津波被害が大きかったコンスティツシオンにて(2010/4発行ジャーナル4月号掲載) – AMDA(アムダ)
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国連経済社会理事会総合協議資格NGO

チリ地震:津波被害が大きかったコンスティツシオンにて(2010/4発行ジャーナル4月号掲載)

チリ地震被災者に対する緊急医療支援活動

〜津波被害が大きかったコンスティツシオンにて〜 

看護師 石岡 未和(派遣期間:2010年3月14日〜4月2日)

 


被災地の婦人に乳児支援について語る筆者(右)

集団保健指導のーコマ

3月9日、第1次チームでチリ地震被害調査に赴いた森田調整員を通してAMDA本部からチリ地震緊急医療支援活動への看護師派遣要請がありました。森田調整員とは青年海外協力隊時代にドミニカ共和国の保健プロジェクトで共に働いていた経緯があります。

第1次チームの調査の結果、チリ政府の対応は迅速であるもののアクセス困難な地方にはまだ支援が不足していることが分かり、津波被害が大きかったコンスティツシオンでの、災害弱者である2歳以下の乳幼児への物資配給と乳幼児健診を目的とした短期間のプロジェクト実施が決定され、その実施要員として派遣されることになりました。3月11日M7.0の大きな余震があり、再び崩れる建物、人々が恐怖でパニックに陥った様子など、森田さんから伝えられる現地の生々しい様子を聞いて、今後も予断を許さない状況であることを覚悟しました。

サンチアゴ到着後の17日、タルカへ出発。タルカが近づくにつれ、幹線道路の破損、建物の倒壊被害が多くなり、首都との被害の違いが大きくなっていきました。タルカでは、夜間外出禁止令が出されていて、街の入り口には銃を抱えた警察や軍隊が検問をしており、到着が夜遅かったこともあって、周囲は物々しい雰囲気でした。18日は、物資の移送・安全確保をしてくれるタルカ軍基地を訪問し、ホセ中佐とミーティング。プロジェクト実施日が23日に決定しました。午後からコンスティツシオンへ行き、協力先のアウトセロ診療所で現地スタッフとミーティングした後、コンスティツシオン全体の様子を視察。津波被害は想像以上に大きく、海岸付近一帯は瓦礫の山と化していました。その瓦礫の中から物を探す人々の姿やキャンプ生活を余儀なくされている人々も多く、津波被害の深刻さを物語っていました。壊滅的な被害を受けた漁村地区で、家の柱以外の一切を失った夫婦に出会いました。明るく私たちの訪問に応じてくれた彼らですが、「恐怖をぬぐい去るために笑っているのよ。」といった婦人の言葉が心に深く刻み込まれました。

23日乳児支援プロジェクト実施当日。ラ・セレーナ基地から緊急要請された軍の部隊が、朝6:45に私たちのホテルへ。訓練で徹底された彼らの時間管理・仕事ぶりは素晴らしく、中南米で一番の技術を有するといわれる所以を納得しました。物資を大型トラックに詰め込み、他2台のジープと計3台、総勢15名でコンスティツシオンへ。到着後、軍・診療所スタッフ全員でのミーティングを行い、診療所が抽出した100名の乳幼児リストに従って、診療所内と診療所外を巡回する3グループに分かれて、物資配給・乳幼児健診を実施。当日はサンチアゴからボランティア派遣されている医療団も加わり、大所帯での実施が実現しました。流れとしては、看護師が乳幼児の体重・身長を測定し、成長曲線で栄養・発育状況を観察し、全身状態も合わせて観察した後、物資配給と保健指導をします。他の医療スタッフや軍は補佐をします。幸い、栄養状態に極度の影響をきたしている子供はいませんでした。

しかし、キャンプ地や街の中心から離れた田舎へ行けばいくほど、居住環境が悪くなること、また震災後4週間が経過し亜急性期に入り感染が懸念される時期になるということから、アフターフォローとして集団保健指導を実施することとしました。実施場所には、訪問した中で衛生環境が悪かった場所を選びました。25日、診療所の看護師たち、サンチアゴからのボランティア医療団と共に集団保健指導を3か所で実施。基本的な手洗いを元に協力隊時代に制作したビデオを使って、子供から大人まで楽しく学べる内容としました。手形のお面をして、歌や動きを多くし、被災で落ち込む人々に少しでも明るい時間を提供できたら…という想いでした。短期間でやれることには限界があります。しかし、ここまで、スムーズな実施ができたのは、森田調整員の驚くような調整力、素晴らしいAMDA側スタッフ、現地スタッフに恵まれたからだと思います。国境、職業、社会的地位、宗教の壁を越えて人間としてつながった和を感じることができ、涙々の経験でした。今回、関わってくださった全ての方々に感謝しています。

派遣前はハイチ地震で頭がいっぱいでしたが、チリに赴き、被害の違いに関わらず被災者の辛さはみな同じだという事、当たり前のことですが忘れずにいたいと思います。