サモア諸島地震津波被害に対する緊急救援活動報告(2010/1発行ジャーナル1月冬号掲載) – AMDA(アムダ)
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国連経済社会理事会総合協議資格NGO

サモア諸島地震津波被害に対する緊急救援活動報告(2010/1発行ジャーナル1月冬号掲載)

サモア諸島地震津波被害に対する緊急救援活動報告

天理教道竹分教会 教会長 平野 恭助
  (派遣期間2009年10月13日〜18日)

 


メドセン病院への寄贈
筆者 右から2人目

 10月13日岡山駅でAMDA本部職員のニティアン調整員と共にメディアから取材を受けた後、成田からニュージーランド経由でサモアヘ飛んだ。まずオークランドで一泊。そこで医薬品を大量に購入し、翌15日夜サモアの首部アピアに向かった。アピアに到着したのは前日14日夜。日付変更線を越えて一日戻ったのだ。サモアは地球上で最後に夕日が沈む国なのである。

 翌朝、津波の被害が大きかったウボル島南部を訪れた。津波のツメ跡は阪神大震災や太平洋戦争の空襲の焼け跡を思い起こさせるような壊滅的な状況であった。以前はこの海岸沿いは観光リゾートが集まりトロピカルなムードを漂わせていたのであろうが、今やホテルも家屋も車も樹木も一瞬にしてなぎ倒され流されてしまった廃墟のごとき光景が延々と続いている。2日目、津波の被災者を対象に献身的に診療活動を展開しているメドセン病院のプニ院長に医薬品等を寄贈し、病院玄関で贈呈式を執り行った。

 オークランドから合流した心理療法専門家であるAMDAニュージーランド支部のアルバーツ氏は被災家族の子供達を励まそうと風船をたくさん手土産として持ってきた。またニティアン調整員もささやかだが日本から持ってきたオモチャを子供達にプレゼントした。私はというと……何も持って来てない。そもそも彼らの態度と較べ私には救援の「心」というものが欠けているようだ。難儀不自由のさなかにいる人の心を癒すには「共感」と「理解」なくしてありえない。ただ単に物やお金を渡すだけではなく、駆けつけて、言葉を交わし、同じ目の高さに立ち、相手に温もりを伝えることができれば真の救援活動と云えるのではなかろうか。

 偉なる神のふところと言われるこの地球上にあって災害はあってほしくないものである。が、又どうしても起こってしまうものでもある。しかしその災害を通じて人間同士が出会い、関わり合い、助け合うことで、兄弟としての絆を強めていけるという事実もある。なれば災害も「陽気ぐらし世界」(神と人間の理想郷)へ向かう一つの試練と云えるのかもしれない。陽気なサモアの人々は他国の支援を受けて今復興の階段を登り始めたところである