スマトラ島沖地震の緊急救援活動に参加して
医療法人アスカ会健康運動指導士 平井 麗子
(派遣期間:2009年10月4日〜11日)
米田医師の通訳をする 平井調整員(左) |
今回の地震は、JICA(国際協力機構)・JST(科学技術振興機構)など日本とインドネシアの研究者が連携して、『インドネシアにおける地震の総合防災策』を進めている最中に起こっている。2004年のスマトラ沖地震以降、インドネシアでも、建物の改良や、避難・誘導の啓発が進んだ。しかし、被害の少なかった地域の防災対策は、遅れ気味になっているのが現状である。
現地で支援活動を行っていると、被災者から被災時の様子をうかがう機会が多くある。一「揺れが2回来た。1回目で逃げた人は助かった。」「5年前の地震でヒビが入っていた建物が倒れた。」「また崩れるかと思うと、怖くて家で眠れない。」「レンガやコンクリート造りばかり壊れた」「津波に気をつけてさえいればいいと思っていた。」−など、その声は様々。話しながら、地震の恐怖を思い出してしまったのか、泣いてしまう子どももいた。
被災地には、『非日常』と『日常』が混在している。家や家族を失った被災者も、悲しんでいるだけでは生きていけない。特に貧しい地域の場合、心を痛めつつも明日の糧を求めて活動し続けなければ、家族が路頭に迷う。通りでは小さな子どもたちが空き缶を掲げ、通行人に募金を呼びかける姿を頻繁に見かける。私たち外国人には、それが彼らのバイタリティーのようにも映るが、そのたくましさの裏には、癒されることのない心の傷があるということを、決して忘れてはいけない。
また、『AMDAインドネシア』のエネルギーにはとても驚かされた。プロジェクトの進行スピードや取り組みに対する意欲など、良くも悪くも南国特有の「のんびり」を想定していたので、これは嬉しい誤算である。お互いに不慣れな上地での活動ではあったが、何とか手探りで進めていけたのは、彼らとのコミュニケーションや、パートナーシップあってこそだと思う。今回の支援活動に参加しなければ、出会うことができなかった人たち…新たな仲間を得たことは、私にとって大きな収穫となった。
アスカ会入職以降、日々の業務で青年海外協力隊経験(2003年12月〜2005年12月までマレーシア派遣)を活かす機会はほとんどなく、語学に関しても大きなブランクがあった。しかし、AMDAの中に入り、被災状況を目の当たりにし、現場の緊張感を肌で感じ、久々のマレー語に頭をフル回転させ、空き時間には子どもと遊び…自分なりに見聞きし、感じ、動いていくうちに、海外で活動をする感覚のようなものを、ほんの少し思い出せたような気がした。
このような貴重な体験の場を与えてくださった、アスカ国際クリニック外来職員の皆様、1週間という長期不在を理解し受け入れてくださった、運動療法センター利用者の皆様、そして、厳しい環境下にも関わらず、いつでも強く明るい笑顔で接してくれたインドネシアの人々に、心より感謝している