インドネシア・スマトラ島沖地震に対する緊急医療支援活動報告(2010/1発行ジャーナル1月冬号掲載) – AMDA(アムダ)
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国連経済社会理事会総合協議資格NGO

インドネシア・スマトラ島沖地震に対する緊急医療支援活動報告(2010/1発行ジャーナル1月冬号掲載)

インドネシア・スマトラ島沖地震に対する緊急医療支援活動報告

群馬県立小児センター/ERネットワーク登録 米田 哲医師(小児科)
               (派遣期間2009年10月4日〜15日)
 


子どもを診察する米田医師

 2009年9月30目にインドネシア・スマトラ島沖で発生した地震による被害に対し、AMDAインドネシア支部および本部から緊急援助隊が派遣された。私は、AMDA本部からの第二次派遣隊に加わり、現地で医療活動を行った。そこでの経験や考察を報告する。

【活動内容】
 今回、AMDAは、インドネシア支部が地震発生翌日に被災地に緊急援助隊を派遣し、現地の基幹病院で整形外科医、麻酔科医が外傷の治療を行うと同時に、現地NGOと協力し、周辺地域での巡回診療を開始した。岡山本部からも津曲医師、光島調整員が第一次派遣隊として10月2日に現地に入り、巡回診療に加わりながら被災状況の調査を行った。

 私が所属した第二次派遣隊は、地震発生5日後の10月5日に現地に入り、同日より直ちに巡回診療に加わった。日本人スタッフは、一次隊メンバー2人(10月6日まで)の他に、医師3人、看護師1人、調整員1人が二次隊のメンバーとして現地に入った。インドネシア支部スタッフは、概ね医師が5人前後、医学生が1〜2人で、交代しながら活勤していた。実際の巡回診療では、日本人医師3人およびインドネシア人医師1〜2人が診察に当たり、インドネシア人医師1_2人が薬剤師の代わりに服薬指導を行った。通訳には、日本人調整員やインドネシア人医学生などのスタッフにお願いした。

 今回、AMDA初の試みとして、全医師に対し、統一した書式のカルテの記入をお願いした。複写式になっており、一部は患者に、一部は我々の記録とし、どのような訴えの患者が来て、どのような治療(とくに薬剤)を使用したか、といった統計を取ることとした。また、患者の治療の経過が思わしくない場合は、患者がカルテを医療機関に持参することで、他の医療機関のスタッフが我々の治療内容を知ることができるようにした。10月5日以降に巡回診療で診察した患者数は、だいたい1日で100〜200人程度、詳しい人数や疾患の内訳は表に示すとおりである。 周辺地域の被災状況をみると、多くの家屋が半壊から全壊していたが、道路や橋の被害はほとんど見られず、車やバイク、バスなどを使用して人や物資の移動が行われていた。市街地では断水となっていたが、周辺地域では井戸を使用しているのか、水は普段通りに使われていた。ほとんどの住民は、家の中でそのまま生活しているか、家の前にテントを張ってそこで寝泊まりしており、大規模な避難所は必要なかった。一部の地域で食糧の配給が行われていたが、食糧が不足しているという訴えはほとんど聞かれず、売店や食堂、屋台などは通常どおりに営業していた。

 このような状況のためか、パダン周辺の農村部に住んでいる住民には、我々が現地に到着した10月5日の段階で、外傷や急性の栄養障害と思われる患者は少なく、呼吸器感染症の患者や、慢性的な疾患を持つ患者が目立った。その後、診療を続けていくと、外傷や栄養障害の患者はさらに減少した。興味深いこととして、地震発生後1週間後に頭痛や不眠、倦怠感といったいわゆる不定愁訴のピークがみられたが、その後は減少に転じた。皮膚疾患(衛生状態の悪化に伴う湿疹や歩廊など)がわずかに増加傾向であったが、患者数としては少数であった。避難所で多くの人々が生活する際にしばしばみられる、麻疹や下痢性疾患などの流行性疾患は見られなかった。

 このような状況であったため、地元NGOと協議を行い、緊急援助が必要とされる時期は過ぎたと判断し、当初の予定を短縮し、10月13日に活動を終了した。当面は地元NGOスタッフが引き続き被災地を周り、保健活動を継続する予定である。また、一部では地元のヘルスボランティアが保健活動を行う予定である。

【考察】
 今回、AMDAは、まず現地のインドネシア支部が直ちに現地の基幹病院に整形外科医並びに麻酔科医を派遣し、主に外傷の手術治療をサポートするとともに、周辺地域に医師を派遣して巡回診療を開始した。AMDA本部からも医師・調整員を派遣して巡回診療に加わった。基幹病院では、災害直後より、AMDAインドネシアの医師が数+例の手術を執刀した。災害発生直後に最も問題になるのは外傷であり、患者数は人口が集中する都市部が多い。災害発生直後では基幹病院の中で活動できるスタッフの数が限られるため、まずそこに人員を派遣して病院業務をサポートし、同時に病院まで行くことができない周辺地域で巡回診療を行うことは、非常に理にかなっていると思われた。インドネシア支部の速断並びに本部との連携が、AMDAがスムーズに緊急援助を行うことができた要因と思われた。

 今回、我々が現地に入ったのは、地震発生後5日が経過してからであった。また、活動地域は、市街地ではなく周辺の農村地域であった。一般的に、災害時によくみられる疾患として、発生数日以内には外傷が多く、そのあとは呼吸器疾患などの内科疾患が増加するといわれている。今回、地震発生8日後に初めて医療者に診察してもらったという外傷患者もいたが、全体的にみると、地震に関連した外傷患者の数の割合は、初日(10月5日)に13%あったほかは、概ね2_6%と比較的少数であった。これは、住居家屋の被害が比較的軽度であったこと(全ての家屋が全壊しているような集落は少なかった)、病院までのアクセスが可能であり、かつ基幹病院が外傷の治療を行うことができたことなどが理由として考えられた。外傷患者と並行して、活動当初は栄養障害と思われる患者が少数見られたが、巡回診療を続けていくうちに減少した。同一地域で診療を行っていたわけではないので単純に比較はできないが、インフラがある程度保たれており、食糧に関しては特に大きな問題とはならなかったようであった。ちなみに、地域の水田はほとんど被害を受けていない様子であり、津波の後と違い今後不作となる心配もなさそうである。

 地震発生後7〜10日をピークに、頭痛や不眠、不安などの不定愁訴を訴える患者がみられた。活動開始直後ではそのような訴えは全くなかったが、ピーク時には10%近くに達した。我々に訴えなかった(あるいはコミュニケーションの問題でうまく聞き出せなかった)患者の存在を考えると、実際にはもっと多いと思われる。しかし、ピークを過ぎると減少傾向となったため、親類同士、地域住民同士による伝統的な癒しや支えあいが行われているものと推測された。

 気道感染症は、常に一定の患者数がみられた。震災により一時的に大気が粉塵で汚染されたことやテントでの生活を余儀なくされた住民が多いためと思われた。こういった患者に対しては、薬剤も重要であるが、喉が痛い時やバイクに乗る時には、マスク、なければスカーフやハンカチなどで目元を覆う、などの生活指導も併せて行うことで、上気道炎を予防し、住民たちが薬剤や病院に頼らなくてもよいように努めた。

 慢性疾患のために受診する患者数は、常にトップであった。普段ではわざわざ病院まで行かないが、今回巡回診療が来てくれるなら、ということで受診された患者が含まれていると思われた。中には、糖尿病や不整脈、肝硬変、結核などで重篤な障害を抱えて生活している患者もみられ、長期的に継続する保健活動の必要性を感じた。

 下痢性疾患や感染性疾患の患者はほとんどみられなかった。これは、住民の多くは自宅や自宅前のテントで生活しており、避難所での集団生活がなかったこと、雨季がほとんど終わっていたこと、などが原因として考えられた。また、インドネシアでは、政府による無料での予防接種プログラムが行われており、麻疹などの流行が抑えられた可能性がある。

 皮膚疾患は、経過とともに増加傾向であった。これは、衛生状態がいつもより悪い環境で生活している住民が多いことが可能性として考えられた。疥癬の患者が数名いたが、今回は治療薬を準備していなかったため、直接的な治療ができなかった。また、乳幼児では、不衛生が原因の湿疹もみられた。今後、皮膚外用剤の準備について検討する必要がある。

 我々が活動を終える頃、インドネシア政府も被災地は緊急期から復興期に入ると発表し、国連も地域の半数以上の医療機関が活動を再開したと発表しており、我々は適切なタイミングで活動を終えることができたと考えられた。やる気に満ちたスタッフが集まって活動していると、活動の終了が遅れ、かえって現地の負担になることがあり注意が必要である。

 診療をしていて気になったことであるが、ある場所で巡回診療を開始すると、まず男性達が受診し、そのあとで女性が年齢順に受診し、最後に子供連れの母親とその子供が受診する傾向が見られた。患者の数が途切れそろそろ活動を終了しようとしたころに、親に抱かれた小さな子供の受診が多くなる。これはそのまま地域での力関係を反映しているように思えた。街中では女性の社会進出はかなり進んでいるが、農村部ではどうなのであろう
か。そして、忘れてはいけないことは、さらにその下に、巡回診療に来ることすらできないような患者が隠れている可能性である。このような患者が隠れていないか確認する姿勢が必要である。

【まとめ】
 フィールドでは、当初予想されたより外傷疾患は少なく、地震に関連した急性疾患も半数以下であることから、早期に活動を終了することができた。緊急支援においては、どの程度被害が出ているか、リアルタイムでは誰にも分からない。今回の活動でも、実際に村々の中まで足を踏み入れ、現地の人だちと話をすることで、初めて情報を手に入れることができた。WHO (世界保健機関)のりーダーシップのもとに、担当する地域に入って、実際に被害を確認しつつ同時に治療が必要な患者に治療を行った、という点で、我々の活動に意義があったのではないか。今後も、この地域がどんな復興を遂げていくのか、可能な限り見守り続けたい。個人的には、機会があればまた緊急医療支援活動に参加したいと考えている。