ハイチ義肢支援プロジェクト開始(2010/6発行ダイジェストNo.34掲載) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

ハイチ義肢支援プロジェクト開始(2010/6発行ダイジェストNo.34掲載)

ハイチ義肢支援プロジェクト開始

AMDA義肢支援プロジェクト マネージャー 八尾 直毅
 


視察先の施設で

5月のポルドープランス

ハイチの地震が発生して早5ヶ月が過ぎようとしています(注¥:1月12日発生)。死者25万人それ以上とも言われる世界の最貧国といわれる国で起きた大災害は、世界中の人々に大きな衝撃を与えました。地震後世界各国のNGO団体や国連機関が緊急医療援助活動を始めました。我々AMDAも多国籍医師団を7カ国からのべ35名派遣し活動してきました(5月20日現在)。

今回我々はこの緊急医療支援にあたり、不運にも手足を切断しなければいけないという患者をたくさん見てきました。ハイチ政府の発表ではその数は4000人以上と言われています。そこで今回AMDAはハイチ復興のためにも義肢が必要と考え義肢支援活動を発起することになりました。

なぜ義肢支援活動なのか?地震の復興支援といえばインフラ整備や医療支援などがすぐに思いつきます。義足という一人の患者に対し高いコストを必要とする支援活動を行うことは、復興支援活動においてはとても稀な活動でしょう。

今回我々は300人の被災者を目標に義肢支援プロジェクトを立ち上げました。義肢を支給するということは、その人の直接社会復帰への自立を助けることであります。ハイチでは大家族なので一家の大黒柱であるお父さんに、もしくはお母さんに対し義肢を支援できたとなると、1家10人の生活が復興できることになり、それは直接ハイチ復興への礎となると考えました。支援活動においては義肢支援センターを作り、義足を作る部品においては日本中に眠るまだまだ使えるが廃棄処分になるような中古部品をリサイクル活用して、義肢支援活動を行うことを考えています。

5月に入り我々は第一次調査としてハイチに入りました。大統領府が倒壊した首都ポルトープランスでは大統領府付近も含め、ほとんどの瓦礫が撤去され4カ月の期間にかなりの復興を遂げていました。しかしながら空港を降りるや否や、たくさんの青いテントやその中で勉強する子供たちが目に映り、人々の困窮した姿が確認されました。今回我々は地震直後に緊急医療支援活動を行ったゴナイブに行ってきました。ここは地震の影響はなかった町ですが、多くの患者がここに運ばれてきており、いまも国連や各国のNGO団体が支援活動を行っています。外国人は絶対外を出歩かないように、という注意があるのですが、本当に外を歩いている外国人は見かけないほど治安面は依然厳しい状況が続いています。

ゴナイヴのセコー病院を訪ねると、被災患者さんは手術を施して大体2、3カ月後には傷が癒えるので、4か月経った今では自分たちの家に帰っており、病院には患者の姿はいませんでした。4000とも5000人ともいわれる切断者を支援することは、まずは患者を見つけることから始まりました。そして今回我々はゴナイブ・セコー病院で一人の被災者と出会いました。左足は大腿部から切断され、右足は足首の下から切断という重度の被災者でした。こちらの計画を伝えると是非とも義足を作りたい、という希望でしたのでその病院で採寸を行いました。彼はまだ32歳ですが子供3人を持つ一家の大黒柱で、家族のためにも早く歩けるようになりたいと心から切に願っています。この活動が軌道になるまではまだまだ時間が必要ですが、ともあれ義肢支援活動はこの一家の大黒柱を支援するとこから出発することになりました。

これからどんな困難があるかわかりませんが一人でも多くの被災者の支援を行えるよう活動をすすめていきたいと思います。みなさまからの温かいご協力をぜひともよろしくお願いいたします。
 

AMDA多国籍医師団参加人数:医師17人・看護師8人・調整員9人・義肢装具士1人 計35人 6月1日現在

各国AMDA 医師17 看護師8 調整員9 義肢装具士1
日本(岡山本部) 4  

8

1

カナダ   5    
コロンビア 3 2    
ペルー     1  
ネパール  2      
ボリビア  5      
インド  3  1