ネパール中西部下痢疾患蔓延に対する医療支援活動(2009/10発行ジャーナル10月秋号掲載) – AMDA(アムダ)
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国連経済社会理事会総合協議資格NGO

ネパール中西部下痢疾患蔓延に対する医療支援活動(2009/10発行ジャーナル10月秋号掲載)

ネパール中西部下痢疾患蔓延に対する医療支援活動

 


カトマンズから375キロ西に位置する
ベリ県ジャジャルコット郡(オレンジ色印)

感染地域で聞き取りを行う朴医師

 ネパール連邦民主共和国の首都カトマンズから375キロ西に位置する中西部ベリ県のジャジャルコット郡とその周辺地域で、今年5月頃から水性下痢疾患の大発生があり、8月3日までに、約38、000人が治療を受け、241人が死亡しました(WHO発表)。

 ジャジャルコット郡は、最も近い空港から徒歩で4時間かかるアクセスの悪い、貧困地域です。感染の大発生は、汚水に起因し、衛生知識の欠如と衛生習慣の悪さが、これに追い打ちをかけました。地域では男性が仕事を求めて街に出ていることから、女性と子どもに感染者が多かったようです。

 AMDAネパール支部は、この状況を鑑み、感染地域にて医療救援を行うことを決定し、AMDA本部への支援要請を出しました。これを受け、本部では、7月29日、岡山からスタッフを派遣することを決定。AMDA と連携協定を結んでいる岡山大学から熱帯医学の専門家である医師1人とAMDA本部から調整員1人とが、感染地域に入り、既に感染地域に入って活動を開始したネパール支部スタッフと協力して、感染者の治療と衛生環境の改善にあたりました。

 下痢疾患の感染状況は、最終的には死者が250人を超えたものの、最も感染が広がっていたジャジャルコット郡とルクム郡では、致死率が1%以下と許容レベルとなり、同様に流行曲線も下降傾向となり、ひとまず感染が抑えられたことから、活動を終了し、岡山から派遣されたAMDAスタッフは、8月9日帰国しました。

【派遣者】

朴 範子 医師 岡山大学病院救急科 岡山市在住 ロンドン大学衛生学・熱帯医学大学院修士(熱帯医学・国際保健)
ニティアン ヴィーラバグ調整員AMDA本部職員岡山市在

ネパール中西部下痢疾患蔓延に対する医療支援に参加して

岡山大学病院救急科 朴 範子

 


下痢疾患患者を診察する朴医師

 

 2009年7月31日から8月9日まで、ネパール中西部下痢疾患蔓延に対する医療支援に参加する機会をいただきました。AMDAと岡山大学の協定により、派遣要請があったのですが、以前から途上国での医療支援に興味があったことから、喜んで参加させていただきました。

 7月31日、私とAMDA本部の調整員は岡山を出発し、8月1日、カトマンズに到着。翌2日、AMDAネパール支部スタッフとミーティングをしました。

 ミーティングでは、ネパール中西部ベリ県ジャジャルコット郡へのアクセスが大変困難であることが分かりました。まず、カトマンズからジャジャルコット郡近郊のスルケット郡までは国内便で、その後は、運が良ければ、ジャジャルコット郡までヘリコプターで移動。そうでなければ、雨期のため道路状況の悪い中をバスかタクシーで移動し、更に20時間くらい歩かなければならないとか…その後は、既に派遣されているネパール支部の医療助手4人からなる先発チームと合流するため、ジャジャルコット郡パダル村に向かうとのことでした。

 3日、ネパール支部のMadu医師とネパール人ジャーナリスと共に、スルケット郡に到着。地元保健当局のディレクター、Pathak医師とミーティングをしました。事務所には下痢疾患対策室が設立され、罹患者は減りつつあり、状況は落ち着きつつあると説明を受けました。同日夕方訪れたスルケット郡の地域拠点病院でも、罹患者は減っていると説明を受けました。4日、Pathak医師の尽力により、ヘリコプターでジャジャルコット郡立病院に向かうことができました。そこでも同様に、状況は落ち着きつつあり、下痢疾患の受診・入院患者数も減ってきているとのことで、状況は改善されつつありました。しかしながら引き続きモニタリングは必須であり、1か月前からパダル村で対策にあたっている医療チームの交代として、ネパール支部に派遣要請があったようでした。ヘリコプターでパダル村に移動したところ、既に人員が足りていることが分かり、また、セキュリティ上の懸念から、ネパール軍が運営する医療キャンプのあるサルマ村でモニタリングを行うことになりました。この村の医療キャンプには、2人の軍医が滞在し、状況は改善しつつあると聞きました。

 今回蔓延した下痢疾患患者数人の便からコレラ菌が検出されたとの報道がありましたが、我々が接触した関係者らは、大腸菌などのコレラ菌以外の細菌や原虫による混合感染も視野に入れて活動しているようでした。感染ルートに関しては諸機関が調査をしており、いくつかの地域で水源も同定されたという報告がありましたが、感染は中西部地域全体に広がっていることから、どのような経路で伝播したのか、同定は困難と思われました。最初の症例は5月3日に報告されていたとのことですが、散発的に発生しており、交通アクセスの悪さや電話など通信手段が一切ない状況が対応の遅れに大きく影響したようでした。さらに悪いことには、雨期が重なり、雨で川が増水すると川を横切る道路は一切使えなくなり、物資や人の行き来を更に困難にしました。このような困難な地域であるため、必要な医療資源を迅速に頒布するには、ヘリコプターを使う方法しかありませんでした。この地域はネパールでも特に貧しい地域であり、各家庭には電気もトイレもないという生活環境の悪さに加えて、衛生環境も非常に悪かったことが感染を蔓延させた原因であったと思われました。

 診療面からは、感染状況が落ち着いてきており、それほど罹患者がいなかったこと、またネパール人医師のサポートなしでは医療行為が行えなかったことから、貢献する機会はあまりありませんでしたが、日ごろ享受しているサービスのありがたみを改めて感じさせられました。例えば、歩いて4時間以内に診療所があれば非常に恵まれている、という医療へのアクセスの悪さには日本で連日報道されている医師不足や僻地での医療従事者の必要性とは比べようもなく、言葉もありませんでした。

 帰りは悪天候のためヘリコプターが飛ばず、最寄の幹線道路まで6時間歩いた後、バスに乗り、スルケット郡に向かう予定でしたが、川の増水の為、バスが止まり、馬の背に乗って川を渡るという経験もしました。途中、予定通り日本に帰って来れないのでは、と気をもみましたが、同行のネパール人ジャーナリスト他の尽力により、予定通り帰国できました。振り返ってみるとネパールには8日間滞在しただけだったですが、この地域の生活がいかに困難であるか、ということを身をもって体験し、最低限必要な医療もなかなか受けられないという状況に加えて、人々が必死に慟いているにもかかわらず貧困が解消されず日々の生活にも非常に困っているという状況を日本の皆さんに伝えなければならないと強く感じました。