インドネシア・ニアス島 緊急簡易家屋復興支援プロジェクト(2006/3発行ジャーナル3月号掲載) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

インドネシア・ニアス島 緊急簡易家屋復興支援プロジェクト(2006/3発行ジャーナル3月号掲載)

インドネシア・ニアス島 緊急簡易家屋復興支援プロジェクト

ニアス島の雲行き AMDAニアス 鈴木 俊介

 本誌上でこれまでに2度 簡単にご紹介させて頂いたニアス島(簡易家屋復興支援)事業は、9月中旬にUNHCRと契約締結に至り、10月初旬より実質的な活動を開始している。数え て丸4ヶ月、当初はこれでもかというほどの大雨に打たれながら事業の成り行きに不安を覚えた。現在は雨季も終わり穏やかな日々が続いている。小高い丘から 見える大海原は日増しに青色を鮮明にし、この地がスマトラ沖に浮かぶ小さな島であることを否が応でも実感することができる。

  インドネシアは大国である。一般的に人々のプライドも高い。どこへ出掛けてもその土地その土地の豊かな文化がある。ニアスもその例外ではなく、独特の文化 がある。特殊な建築技術を持ち、固有の言語、伝統行事、舞踊や唄がある。島の南部に伝わる「石跳び」という忍者顔負けの高飛び術は特に有名である。一方、 古くからオランダやドイツの宣教師が入っていたため、他の地域と比較してキリスト教色が強いのがニアスの特徴である。カトリックとプロテスタントの両方が 並存するが、「クリスチャン(キリスト教徒)」というと排他的にプロテスタント教徒を示し、カトリック教徒と区別している点が面白い。

被災地の状況

テント生活を続ける村民

 一昨年の12月に起きた津波と昨年3月に起きた地震による被害を受けるまで、この島を訪れる外国人は「通の」サーファーや教会関係者くらいしかい なかった。しかもサーファーは島の南側から西側の海岸線を訪れるため、島の東側に位置するグヌンシトリという商業の中心地を訪れる外国人はごく僅かであっ た。災い転じて福となっているのかどうか判りかねるが、国連関係者や国際NGOの職員が駐在し、かつ復興支援活動に活用するため、現地市場から様々な物品 を調達しており、活況を呈していると言えなくもない。もちろん、そのことにより利益を得ている人々はごく少数の商売人であることは言うまでもない。

ニアスの人々は、想像していた以上にコスモポリタンな性格を有している。島国根性、排他的な側面はあまり見られない。スタッフのみならず、村の人々も、外 国人に対して決して卑屈にならない。礼を失することとフレンドリーであることとの境界線を明確にすることは時に困難であるが、例えば業務上一定の仕事を現 地の職員に任せる場合、仮に部下・上司という関係であっても、何でも言い合える仲である方が都合が良い場合が多い。

さて前置きが長くなったが、我々の仕事は、富士登山に例えるとまだ5合目に向かうバスの中にいるようなものである。仮設住宅建設のための準備作業を行って いる段階である。この事業の何が困難かというと、モニタリングやロジスティックス上の課題もさることながら、「住民の、住民による、住民のための建設」を 推進する途上で直面せざるを得ない種々の問題を、我々ではなく、住民に解決してもらうプロセスにある。大工を雇い入れ、機械的に建設していくのではなく、 住民が建設工程や大工技術を学び、自らの手で自己の仮設住宅を建設していくという、一面において夢のようなプロセスである。それがどれだけ現実味を帯びる かは、我々 スタッフの力量にかかっている。俗にこうした能力をファシリテーション技術と呼ぶが、精神的な格闘技と言っても良い。住民と向き合う現地職員が重圧に耐え かね、妥協し易きに流れると負けである。少々開発学的見地からのコメントになるが、住民参加には常に機会コストの弁済方法とを巡る駆け引きが包含されてい る。住民が無償で建設に従事する間、誰が彼らの生活費を負担するのか。表層的なボランティアイズムは通用しない。事業側がそれを負担すればするだけ、住民 の当事者意識と結果に対する責任感の度合いは薄れていく。

被害状況の確認と村民との集会

基礎工事

雨季でもないのに、今ニアス島を厚い雲が覆っている。すでに述べたが、UNHCRによる材木の調達が大幅に遅延している。12月末には到着する予定であっ たカリマンタン産材木の船積みがさらに遅れ、最初の到着は2月の中旬以降の予定となった。入札制度を通じて最初の契約者となった供給元の出荷能力に危機感 を持ったUNHCRは、その後出荷先をスラバヤにも求め、すでに3つの調達先と契約を交すことになった。問題は、それらの材木が一度に到着した場合、ニア ス島の小さな船着場と資材置場が大混乱に陥るのではないか、ということである。さらに、仮に水際における問題が解決されたとしても、輸送手段の制約から、 今度は各NGOが事業地へ木材を搬送することができるのか、という大きな懸念を我々は抱えている。

モデルシェルター(簡易家屋)建設

完成したモデルシェルター

海上輸送大作戦 AMDAニアス(ロジスティクス担当) 宇佐美直人

ロジスティクス担当の役割

 津波に続く去年3月の大地震で1万以上の家屋が倒壊したインドネシア・ニアス島で、
AMDAはシェルター建設を行っています。今事業の困難の一つは物資搬送(ロジスティクス)の難しさにあります。地震で橋は陥落し、もともと悪かった道路 状態はさらに悪化し、トラックはおろか歩いてもなかなか到達できない遠隔地の集落が多くあります。我々の事業地6集落のうち3つが陸上輸送がほぼ不可能 で、海上交通以外に選択肢が無い状況です。しかも村から近い海岸は非常な遠浅で、大きな船は近づけません。しかしシェルター1戸分で木材5トン、セメント 1.3トン、コンクリート基礎工事用の砂利の類18トンを砂浜から運び込まなければなりません

海上輸送作戦

港湾施設の無い浅い海岸、砂浜での陸揚げにはランディング・クラフト(LCT-上陸用舟艇)が必要といわれ、東ティモールでも活躍したと聞いています。 その種の船は現在、スマトラ島のバンダ・アチェに集結中で、当地へWFP(国連世界食糧計画)、UNJLC(国連ジョイント・ロジスティクス・セン ター)、IOM(国際移住機構)、アトラス・ロジスティクス(ロジを専門とするNGO)などの担当者に会いに行きました。初期調査では我が事業村の遠浅の 海岸に接岸するには容量100トン以下のLCTでなくては、ということでしたが、見つかったものは最小で300トンでした。

小規模LCT、バージ

国際機関や何人かの華僑ビジネスマンにも当たってみましたが、適当なLCTが見つかっても係留地がジャカルタやシンガポールで、ニアスに来るのに1週間 かかり、係留してある港から離れたその日から借り賃は1日当たり3,000ドルかかるといいます。これは無理です。しかし、あるロジの専門家からLCTが 無くてもバージと言われるタグボートで牽引する平底船なら同じ役目が果たせると聞きました。するとスタッフがニアスの対岸にあるスマトラ島のシボルガとい う市に巨大な製材所があり、その種の船を大量に所有しているという情報を入手して来ました。シボルガなら船で10時間です。実際に行って製材所の船着場を 歩いてみるとあるわあるわ・・大小さまざまなバージが。すると「あれ?」小さなLCTがあるではありませんか。会社の人に聞いてみると故障中で何年も使っ てないという。容量は26トンで5トン・トラック1台が乗る、60センチの水深まで行けるから接岸できない海岸は無い・・素晴らしい!

WFP-SS (国連世界食料計画―船舶輸送サービス)

会社幹部に会うと好意的でした。結局バージは保険、デッキ上のトラック固定の難しさがあるため、26トンLCTを修理、借り上げの方向で話がまとまりそ うでした。この話をWFP-SS(WFP船舶輸送サービス)に相談すると、WFP-SSがそのLCTを借り上げて、我々に(無償)貸与できる可能性もあ る、という返事。他のNGOからの需要もあるからです。同時に現在WFP−SSが現在保有する300トンLCT(名前は「ハニー」)も同時に使えないか、 事業地の海岸線水深調査をして欲しいということでした。

3mの竹の棒(水深用)に目盛と石の重りをつけ、100mのひも(距離測定用)をくくりつけた手製の測定器とGPS(地球測位システム)を持ち、借り上げ た漁船(AMDA丸5トン)に乗って事業村に近い海岸に出かけました。WFP-SSの300トンLCTは船尾が2.2mの水深地点まで航行可能で、船体が 58mあるので、水深2.2mの地点が海岸線から58m以下なら接岸できるという理屈です。すると3つの事業村海岸のうち2つでは遠浅であるにもかかわら ず、深い地点があって、300トンLCTが接岸できるポイントがあることがわかりました。沖合いの危険な浅瀬も環礁も無いようです。浅すぎる海岸線を持つ 村でも干潮時に海岸づたいで別の事業村の海岸から4輪駆動車で物資が運べそうなことも判りました。

300トンLCT「ハニー」、26トンLCT、AMDA丸、自家製簡易桟橋の組み合わせで、海岸に物資を揚陸するというプランが現実味を帯びてきました。 うまく行けば3週間後からセメント用の砂利搬送が始まります。しかし海岸からどうやって数キロ内陸の村へ運ぶのか?ココナッツの木橋を架け、道を作り、一 輪車かトラクターかロバで・・
ロジ担当者の眠れぬ夜は続きます。