AMDA Journal インタビュー 被災地に寄り添う鍼灸師として(2025/7発行ジャーナル夏号) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

AMDA Journal インタビュー 被災地に寄り添う鍼灸師として(2025/7発行ジャーナル夏号)

林 篤志 先生
林 篤志(はやしあつし):岡山県倉敷市出身。明治国際医療大学で鍼灸を学び、東京九鍼研究会の石原克己氏に師事。2016 年より東明堂石原鍼灸院で研鑽を積み、2017 年に地元倉敷市で『西明堂 林鍼灸院』を開業。以降、訪問専門鍼灸師として地域医療に尽力しつつ、災害支援活動にも積極的に関わっている。

AMDA との出会い

AMDA
 林先生と AMDA の関わりは、2018 年の西日本豪雨の時が最初だったと伺いました。


 そうですね。西日本豪雨からのお付き合いになります。AMDA の名前自体は以前から知っていましたし、AMDA 主催の災害鍼灸の講演会にも参加したことがあります。実際に被災地で活動している様子を見て、こういう支援の形があるんだと知りました。私自身、ボランティアで被災した地域の片付け作業などを行っていた時に、AMDA から鍼灸師ボランティアの募集があり、参加するようになりました。

AMDA
 西日本豪雨時には、総社市の鍼灸師、石堂先生が AMDA の調整員として活動されていましたが、石堂先生についてはご存じでしたか?


 はい。石堂先生はもともと有名な先生で、千葉にいた頃からお名前は知っていました。実際に AMDA の現場でご一緒して、鍼灸師のネットワークの広がりを感じましたし、今でも交流が続いています。こうしたつながりが、その後の支援活動にも活きています。

コロナ禍を経て、その後の支援に参加

AMDA
 東北での支援活動は、先生にとって初の県外派遣だったそうですね。


 そうなんです。令和元年の台風 19 号被災者緊急支援活動(宮城県丸森町)、令和 6 年の能登半島地震被災者緊急支援活動、能登豪雨災害被災者緊急支援活動に参加しました。能登半島地震の時は、初詣の日に地震があって、なんとなく嫌な予感がしたんですよね。AMDA のスタッフの方から連絡がありました。当初は鍼灸ではなく、初期対応要員として調整員での参加でした。自分が行って本当に役に立てるのかという不安がありました。実際に初めて「調整員」として現地に入り、その業務の難しさを痛感しました。正直なところ、“ もっと学んでからもう一度行きたい ” という思いが残っています。

現場での備えと教訓

AMDA
 初出動では備えの面でも苦労があったそうですね。


 はい。衣類や食料に対する見通しが甘かったと反省しています。ライトや電池、小分けにできて動きやすい服装など、現場の状況が刻々と変わる中では、しっかりとした準備が必要だと実感しました。

豪雨支援の特別な思い

AMDA
 能登地震から約半年後、先生は能登の豪雨支援にも参加されました。


 現地の状況を見て、“ これは放っておけない ” という強い気持ちがありました。大変な状況の中で、少しでも役に立てたらという思いが根底にあります。ただ、行く側としては、まずは自分の体を大事にすること。そして、自分を送り出してくれる周囲への意識を忘れないことが大切です。支援に行くこと自体が経験となりますが、同時に “ 無理をしない ” というストッパーも必要だと感じます。

支える側への敬意とチームとしての支援


 現場では “ 役に立ちたい ” という思いが大きくなりがちですが、それだけではダメだと気付かされました。現地で活動する我々を支えてくれる本部スタッフの苦労もとても大きいんです。現場だけでなく、見えないところで支えている人たちの存在を忘れてはいけません。皆様のご支援があって活動ができる、そのことを強く実感しました。

最後に:支援に関わるすべての人へ


 “ 頑張りたい ” という気持ちだけでは続かない。だけど、“ まだやれる ” という気持ちがあるうちは、できる限り無理のない範囲で関わっていきたい。そんな風に思っています。