連載インタビュー「支える喜び」シリーズ第16回 岡山市吉備学区連合町内会長 西村 輝様
AMDAを支えてくださっている支援者の皆様に、インタビュー形式で様々なエピソードをお伺いしている「支える喜びシリーズ」。16回目となる今回は岡山市吉備学区連合町内会の会長として、AMDAの活動にご支援をいただいている西村輝さんにお話を伺いました。
東北の惨状に衝撃
AMDA 本日はお忙しいなか、ありがとうございます。AMDAには度重なるご支援をいただき感謝しています。西村さんは国内で最大手の地質調査コンサルタント会社(東京)にお勤めでしたが、AMDAとのかかわりは何がきっかけとなったのでしょうか。西村 1998年、東京でテレビを見ていて、AMDAが報道されていました。本部が古里の岡山市にあると知り、何か他人の役に立てたら…と「ER(緊急医療)ネットワーク登録」をAMDAに申請したのが始まりです。
AMDA 2001年に退職して岡山市に帰り、岡山地下水調査有限会社を設立。11年3月11日に東日本大震災が起きた際、AMDAが派遣した医師や看護師ら10人でつくる「緊急医療チーム」の調整員として参加。約15日間、現地に滞在されました。
西村 宮城県南三陸町から岩手県大槌町に回りましたが、津波で家屋はすべて流され、がれきの山となった状況を見て「大変な事態となった」とあらためて衝撃を受け、人間の無力さを痛感しました。
AMDA 2014年、西村さんは地元の岡山市立吉備中学校の生徒4人を連れ、東北地方に行かれました。
西村 震災から3年が経過していたが、現状はがれきが片付けられていただけ。「復興にはかなりの時間がかかるな」と感じました。生徒は現地の子どもから「親戚が亡くなった」と聞き、かなりのショックを受けている様子でした。
AMDA 2016年の熊本地震の際も現地に出向いて行かれています。
西村 4月21日朝に一人で車に乗って岡山を出発。約10時間かけて現地に到着。震度7の地震に2回見舞われた熊本県益城町の広安小学校のAMDA救護所で約15日間、活動しました。
大規模災害に備え連携協定
AMDA 吉備学区連合町内会とは2016年7月6日、南海トラフ地震など大規模災害時の緊急人道支援に向けての連携協定も締結しています。西村 吉備学区の人口は約1万7千人。「相互扶助」の精神で様々な自然災害に対処していきたいと思っています。
AMDA 2013年からAMDA支援農場の世話人、2016年からは代表世話人としてもお世話になっています。
西村 私自身、3?の農地で米を栽培していますが、支援農場には2つの目的があります。一つは東北への支援としてNPO法人「仙台夜まわりグループ」への米の提供、もう一つは南海トラフ地震への備蓄です。
防災・減災意識の高揚を
AMDA AMDAに注文や提案がありましたら、率直なお考えをお願いします。西村 震災地へ出向く調整員が知識を共有し、効率的な作業ができるよう研修会を開催しては如何でしょうか。さらに、防災・減災意識を国内各地でどう高めてゆくか、AMDAと足並みをそろえて頑張りたいですね。
AMDA 温かい激励をいただき、ありがとうございました。今後も一層の努力を重ねてまいります。引き続きご支援をよろしくお願いします。
(インタビュー内の敬称は省略させていただきました)