連載インタビュー「支える喜び」シリーズ 第37回 公益社団法人岡山県看護協会 会長 二宮 一枝 先生
AMDA を支えてくださっている方々の様々なエピソードをインタビュー形式でお届けします。今回は公益社団法人岡山県看護協会会長(元岡山県立大学保健福祉学部看護学科特任教授)の二宮一枝先生です。
(聞き手:ネパール担当 アルチャナ ジョシ)
AMDA
かつて岡山県岡山保健所で菅波理事長と一緒にお仕事をされていたそうですね。それが AMDA を知ったきっかけでしょうか?
二宮先生
はい。私が保健師になって 3 年目の昭和 49年に岡山保健所勤務になりました。当時は同保健所に若い医師が多くいらっしゃって、菅波先生もその中の一人でした。この時が AMDA との出会いになるのですが、その頃[pagebreak]はよく知りませんでした。ただ、当時から菅波先生は、「保健師の仕事はとても大事で、医師も保健師の活動を知る必要がある」と、よく言われていました。私は、行政の保健師として、過疎地域をはじめ、多くの保健師の指導などにも関わっていました。当時は行政保健師の実務経験を有する教員も少なかったので、大学教員として保健師の教育に携わりたいと思い、50 歳を機に岡山県立大学で教鞭をとることになりました。大学院では当初から菅波先生の『災害医療特論・演習』を開講しており、保健師になりたい学生には受講を勧めていました。
AMDA
二宮先生は岡山県立大学の教授として、何度かネパールにも足を運ばれていますね。
二宮先生
私は、岡山県玉野市にある商店街で生まれ育ちました。現在は、さびれてしまいましたが、当時は映画館もあり、医療環境にも恵まれていました。両親が共稼ぎだったので、長期休暇はいつも父の実家(離島)に預けられました。島には岡山大学が運営する診療所しかなく、発熱した弟を連れて祖母と 4 キロの夜道を徒歩で受診した記憶は今も鮮明に残っています。医療環境に恵まれた地域とそうでない地域を、子供の時から両方経験しました。また、若い頃に聞いた、ネパールでの結核患者への支援に深く感銘を受け、一度ネパールには行きたいと願っていました。幸いにも AMDA との協定により、大学とネパールの交流が始まりました。言葉、文化、習慣の違う過疎地域での生活体験は、災害時の保健医療活動にも活かせるので、保健師を目指している学生のための演習科目を設けました。また、ネパールの看護師たちの日本での研修も実施しました。
AMDA
西日本豪雨災害支援活動の際、岡山県立大学にもご協力いただきました。
二宮先生
岡山県立大学は、AMDAおよび岡山県総社市と三者協定を結んでおり、大学として AMDA の支援活動に参加することは最優先事項でしたので、AMDA が支援活動を行っていた倉敷市立岡田小学校に学生を派遣しました。また安定した活動の継続のため、学生とともに教員も参加できるように調整しました。その際に被災者に対して足湯を施しました。最近、精神疾患を患っている患者さんに足湯を施すよう勧めている記事を読みました。足湯は医療従事者のおごりを克服するためのもので、「私は支援者だ、医師だ、プロだといった傲慢さを軽減するためのものだ」とも書いてありました。足湯を施す時の立ち位置には意味があります。私は、AMDA が西日本豪雨支援活動の際に足湯を行っていた時のことを思い出しました。これまで AMDA の活動に参加して、たくさんの学びがありました。支えられているのは私の方です。今後とも自分ができることをできる時にしていきたいと思います。