連載インタビュー「支える喜び」シリーズ第33回 真言宗御室派薬園山長泉寺住職 宮本 龍門 様 – AMDA(アムダ)
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連載インタビュー「支える喜び」シリーズ第33回 真言宗御室派薬園山長泉寺住職 宮本 龍門 様

連載インタビュー「支える喜び」シリーズ第33回 真言宗御室派薬園山長泉寺住職 宮本 龍門 様

 
AMDAを支えてくださっている方々の様々なエピソードをインタュー形式でお届けします。今回は、真言宗御室派薬園山長泉寺ご住職の宮本龍門様(以降敬称略)です。(聞き手:AMDA理事 難波 妙)
 

AMDA

龍門ご住職が中学生の時、通っている学校にお父様がAMDAの活動報告に来られたことがあったそうですね。
 

宮本

父である光研は、1996年に中国雲南省大地震の被災地でAMDAが行った小学校の再建プロジェクトに参加しました。活動に協力した私の中学校に、現地の小学校から[pagebreak]「感謝の旗」を届けるよう父に託されたそうです。何も聞かされてなかったので、突然の登場に大変驚きました。そんな父に連れられてAMDAに支援物資を運んだこともあります。
 

AMDA

龍門ご住職には、2011年の東日本大震災、2018年の西日本豪雨災害の支援活動にもご尽力いただきました。
 

宮本

長年、父の活動を傍で見てきたこともあり、加えて今でも覚えているのは、2010年頃、菅波さんがしきりに「宗教者には是非現場に出てほしい」と強調されていたことです。「現場には宗教者としての役割がたくさんある」と。その言葉を胸に2011年3月18日にAMDAの調整員として岡山から車で被災地に向かいました。
 

AMDA

今でも鮮明に残っている記憶はありますか?
 

宮本

何よりも先ず、私が行った釜石市や大槌町の景色ですね。大槌町にいたっては町のほぼすべてが被災しており、とてつもない瓦礫の山でした。それを見た時、生き残った人々はきっとその土地をあきらめて、他の場所で生活を再建されるだろうと思いました。あの膨大な量の瓦礫を除けて町を元に戻すという作業には、途方もない時間と労力がかかるし、正直、合理的でないと感じたのです。しかし、実際には多くの方がその被災した土地に残られました。私もAMDAの調整員としての活動の傍ら、釜石市の遺体安置所で読経したり、避難所となっていた寺院の朝勤行に参加させていただき肌で感じましたが、そこには「祈り」が大きく関わっていると思います。震災に遭って助かった人というのは、「自分はなぜ生き残ったのか」「亡くなった方々は何を思うだろうか」と考えざるを得ません。だからこそ祈りを通じて亡くなった方々の想いや願いに触れることが大切です。考えてみれば、亡くなった方の多くがその町を創り、守ってきた方々なんですよね。「故郷に留まって故郷を復活させよう」というエネルギーやモチベーションは、そこから生まれるのだと思います。
 

AMDA

失わないとわからないものがありますね。
 

宮本

被災地での朝勤行の様子

当たり前というのは、当たり前でなくなった時にしか気付けないのが人間ですよね。若い頃は、お年寄りがお寺に来て、ひたすらに「ありがたい、ありがたい」と言っていることがあまり理解できませんでした。でも、今、戦争の真っただ中にいるロシアやウクライナの人が、いつもの教会へ行っていつもの仲間と会って帰るという平和な時間を過ごすことができれば、それはきっと「ありがたい」と思うでしょう。平和が当たり前な私たちにはわからない感覚ですよね。
 

AMDA

血を流さずに平和な世界に向かうことはできないのでしょうか?
 

宮本

政府というのは国の利益を守ることが一番の仕事ですから、他国と利害が対立してしまうのは必然的なことともいえます。じゃあどうすればよいかというと、私は民間の交流が大事だと思います。経済的、文化的な交流を通して、コミュニケーションを積み重ね、相手をよく知ることで信頼も醸成されます。政府間が対立する時に、民間レベルで「あの人たちと戦うのは嫌だ」と思えるかどうか、そこが平和のための肝となるのではないでしょうか。