第40回美波町国民健康保険美波病院院長 本田 壮一 先生 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

第40回美波町国民健康保険美波病院院長 本田 壮一 先生

 AMDA を支えて下さっている方々の様々なエピソードをインタビュー形式でお届けします。今回は、美波町国民健康保険美波病院の本田壮一院長です。    (聞き手:AMDA 大西 彰)

AMDA
 これまで美波病院ならびに本田先生とは、AMDA 南海トラフ災害対応プラットフォームを通じて親睦を深めてきました。AMDA が支援を予定している徳島県美波町の協力医療機関として、県南部圏域や美波町での訓練でご一緒させていただくなど、様々な方面でご支援いただいています。今更ですが、初めてAMDA について知った時、どのような印象を持たれましたか?

本田
 そうですね。岡山で発足したことや海外への支援などで、AMDA の名前と菅波茂先生の存在は知っていました。実際に交流が始まったのは、美波町やAMDA の関係者に紹介されたことが大きかったと思います。また、岡山の国際交流センターで行われた『南海トラフ災害対応プラットフォーム調整会議』に何度か参加したことや、プラットフォームの自治体連携統括をされている元消防署長の篠原さんから積極的に紹介していただいた経緯があります。「岡山から美波町までどのくらいの時間で行けるか」といったことを一緒に検証した記憶がありますね。

AMDA
 美波町を訪れた際、先生から伺った言葉で印象に残っているのが、「ウェルかめ」です。美波病院で研修を受けた医師たちが美波病院を” 巣立った故郷” のように大切にしている印象を受けました。

2019年12月、AMDA が参加した美波病院での訓練

本田
 「ウェルかめ」というのは、2009 年9 月から2010 年3 月まで放送されたNHK の連続テレビ小説です。視聴率は低かったのですが、美波町にある遍路宿のヒロインが地元の砂浜で懸命に海に向かっていくうみがめの子どもの姿に感動し、その姿に世界へ向かう自分の姿を重ねる、という話です。
 
 単なる学生インターンということではなく、「受け入れた学生や研修医が、また一人前になって美波病院に勤務してくれたらいいな」という” うみがめプロジェクト” のような形を考えています。ただ、現実は厳しく、地域と関連のある人は戻ってくるものの、それも他の病院との人材の奪い合いです。県立病院など、ある程度大きな医療機関に勤務している元研修医が緊急支援で美波病院に戻ってきたケースはありますが、中々うまくいかないのが実情です。
 
 医師不足は厳しいものがあって、常勤が現在私を含めて2 人。私が65 歳で、もう1 人が67 歳です。徳島県は、人口の割合にしたら全国で一番医師の数が多いのですが、医師の平均年齢の高さも一番になっており、若い人がいない” いびつな構造” になっています。また、医療機関が遍在しているため、徳島市内、小松島市内には医療人材が多い一方、徳島県西部や南部には少ないのが現状です。

美波病院全景

AMDA
 先生の「喜び」についてお伺いします。
 
本田
 病院から600 メートル離れた場所が、私の生まれ育った場所です。高校へも自宅から通いました。大学は徳島市内ですが、関連病院で勤務した後、20 年ほど前に美波町に戻り、旧由岐病院に帰ってきました。地域は高齢化が進んでおり、自分が幼い時にお世話になった方を患者さんとして診るようになりました。そういった方々がすごく自分を頼りにしてくれていることが嬉しいし、やりがいを感じます。* 病院も8 年前に統合して高台に移り、災害を考えて新築されました。地元の高齢者が大半ですが、皆、災害に対する意識は持っています。非常勤で勤務されていた先生がAMDA の支援活動に参加されて、メキシコや北海道で起きた地震の状況などの報告を受けたこと、また組織的な交流等を持てたことがよかったと思います。(* 現在の美波病院は、旧日和佐病院と旧由岐病院が統合されて誕生)