第6回 河野新一郎様 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

第6回 河野新一郎様

連載インタビュー 「支える喜び」シリーズ
第6回 河野新一郎様
岡山県洋蘭協会 副会長

AMDAを支えてくださっているご支援者の皆様に、インタビュー形式で様々なエピソードをお伺いしている「支える喜び」シリーズ。
第6回目となる今回は、岡山県洋蘭協会の副会長で、約20年にわたり、AMDAを継続的にご支援くださっている河野新一郎様にお話をお伺いしました。

AMDAとの出会い 洋ラン栽培を通じて培った信頼

AMDA:
本日はお忙しい中ありがとうございます。
さて早速ですが、河野副会長とAMDAは創設以前からのつながりがあるとお聞きしましたが。

河野:
はい、そうなんです。
話しは設立以前、AMDA創設者で現グループ代表の菅波茂氏のお父様、菅波堅次氏にまでさかのぼります。
故・堅次氏は多くの趣味を持たれており、洋ランの栽培も大変熱心にされていました。
その当時、ハーバード大学にアメリカ蘭協会があり、会員であった我々も、世界中のランに関する論文、最新情報を得ることができました。
堅次氏も栽培や育種の研究を熱心にされ、1963年英国王立園芸協会(RHS)に新品種「サザナミ」を登録されました。

本種は従来なかった美しい色彩のピンク系小型シンビジウムで、海外のラン展示会にも出品し、世界的に日本のランが注目され、大いに話題となりました。
私も種子を預かり、無菌栽培から育成・開花に至るまで、この画期的な新品種の「サザナミ」作出に関わらせていただき光栄でした。
このつながりが、その後のAMDAさんとの活動のきっかけになっていると思います。

生きがいである洋ランを通じて AMDAを支える喜び

AMDA:
なるほど。AMDAでは「苦労を共に乗り越えられる関係」こそが、真のパートナーシップ。
信頼関係の形成には不可欠と考えています。
お二人の苦労から生まれた信頼関係は、かけがえのないものですね。
河野:
今年3月に、開花した「サザナミ」を、AMDAの事務所にお持ちして、茂さんにもお見せすることができました。
大変喜んでいただけて、堅次氏との苦労話などにも花を咲かせることができ、本当に嬉しかったです。
AMDA:
そこから時を経て、1996年から今日に至るまでAMDAをご支援いただいていますね。
毎年「洋蘭展」のたびにお声かけいただけることをスタッフ一同心から楽しみにしておりますし、感謝の気持ちでいっぱいです。

河野:
そう言っていただけると、私たちも光栄です。
この20年あまり、毎年1回「春の洋蘭展」を開催しており、AMDAさんと共催という形でイベントを盛り上げています。
会場の設営時からAMDAのスタッフや、ボランティアの皆さんにもご協力いただいて、パネル展示、募金箱の設置のほか、洋蘭協会のメンバーから提供させていただいたランの株や、様々な小物などをバザー販売したりしてくださっています。
おかげさまで、展示会には毎年大勢の方にご来場頂いています。
この展示会を通じて、私だけでなく洋蘭協会のメンバーそれぞれが、自分の生きがいともいえる「洋ラン」を通じて、誰かの役に立てる喜びを感じています。
また会場に来てくださるAMDAスタッフやボランティアの方々との交流も、私にとっては楽しみの一つなんですよ。

AMDAとのパートナーシップ 洋ランと有機農業

AMDA:
会場に伺うスタッフも毎年、美しい花と協会の皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。
河野:
岡山県洋蘭協会を創立して来年60周年を迎えようとしており、次回は、2016年2月に総社で「春の洋蘭展」の開催を計画しています。
そうえいば、AMDAさんは新庄村で有機米を作られておられますよね。
自然に学び、農業関係における植物と医療の関係についても、私たちの洋ランに関する知識がお役に立つことがあれば協力させていただきます。
ともに深めていければいいですね。
AMDA:
それは心強いです。
今日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。