連載インタビュー「支える喜び」シリーズ 第22回
トマト銀行 取締役社長 木 晶悟様
AMDAを支えてくださっている支援者の皆様に、インタビュー形式で様々なエピソードをお伺いしている「支える喜びシリーズ」。22回目となる今回は、トマト銀行(岡山市北区番町)の取締役社長として、AMDAに温かいご支援を頂いている木晶悟様にお話を伺いました。(聞き手・広報担当参与 今井康人)
AMDA
2015年から毎年、AMDA国際医療貢献定期預金を取り扱いして頂くなど大変お世話になっています。
高木社長
AMDAさんの理念である「相互扶助」は当社の創業の原点と同じ。双方の取り組みは違っても「困った時はお互い助け合う」という精神で頑張っておられるAMDAさんには、すごく親近感を感じています。
AMDA
ありがとうございます。ところで、1989(平成元)年に山陽相互銀行からトマト銀行と社名変更をされ、今年で30周年を迎えられました。
高木社長
当時はカタカナの社名の銀行は珍しい時代でしたので、全国のマスコミがこぞって取り上げ、その年の新語・流行語大賞の新語部門「銅賞」にも選ばれました。
AMDA
社名変更のエピソードを教えてください。
高木社長
当時の吉田憲治社長から1対1の管理職面接試験を受けた際、突然「新しい銀行名は何が良いか」と質問されました。頭をフル回転させて咄嗟に思いついて口にしたのが「マスカット銀行」でした。吉田憲治社長は、しばらく間を置いて「マスカットも考えたが、マスカットは高級すぎて庶民の食べものとは言い難い。当社が目指す銀行のイメージは、明るく、元気で、そして庶民的な銀行であり、マスカットのイメージと合っていない。毎日食べることができ、みずみずしく、健康的で、暮らしに役立つトマトにしようと思う。」と述べられたことが印象に残っています。その後トマト銀行の名前が発表されると、最初は社内で反対の声もあったのですが、徐々に世間に認知され、評判が高まってくるに連れ、社員のモチベーションも上がっていきました。
AMDA
トマト銀行としての営業初日はどんな様子でしたか。
高木社長
営業初日となった平成元年4月3日午前9時、入り口のドアが開くと、たちまち窓口にはお客さまがあふれ、その様子を取材するマスコミも加わり、人の山ができました。この日だけで全店で4万3700人が来店し、預金は630億円増加しました。
AMDA
ところで、今年は多彩な30周年記念事業を繰り広げられていますね。
高木社長
おかげさまで、本年4月1日でトマト銀行への社名変更30周年を迎えることができました。これを記念して、地域への恩返しを目的にトマト復興応援私募債・トマト地方創生私募債の寄付金増額をはじめ、トマト復興応援定期預金の取り扱い、被災地でのボランティア活動、被災地の福祉施設でのブラスバンド同好会による慰問演奏会、東京で岡山の食を紹介する物産展の開催など、様々な取り組みをおこなっています。
AMDA
趣味は読書と映画鑑賞と伺っていますが、座右の銘を聞かせてください。
高木社長
幕末の志士・高杉晋作の辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」です。人生は山あり、谷ありですが、だからこそ心を前向きにして楽しく生きようと私自身の戒めにしています。
AMDA
今後の抱負を教えてください。
高木社長
当社は、お客さまが困ったときにしっかり応援させて頂く、つまり「雨の日に傘を差し出す」「雨の日の傘になる」面倒見の良い銀行を目指しています。これからもお客さまに徹底的に寄り添うことで、一番に相談され、一番信頼される存在になれるよう、役職員一丸となって頑張ってまいります。