「善意の絆 相互扶助」【Vol.31】小規模多機能ホーム「ぶどうの家真備」代表 津田由起子様 – AMDA(アムダ)
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「善意の絆 相互扶助」【Vol.31】小規模多機能ホーム「ぶどうの家真備」代表 津田由起子様


2018年7月の西日本豪雨で壊滅的な打撃を受けた小規模多機能ホーム「ぶどうの家真備」(倉敷市真備町)とAMDAの出会いは、同年7月23日。倉敷市真備町の薗公民館分館に入所者・職員全員で避難生活を続ける最中、AMDAスタッフが津田由起子代表と出会い1か月半の看護師派遣を決定しました。AMDA派遣の看護師は夜勤を含め職員と共に活動市高齢者の避難生活を支援しました。「ぶどうの家真備」はその後、公民館から真備町内の一軒家に避難先を移転。4か月間の更なる避難生活を経て翌19年3月、約8カ月ぶりにホームは元の場所で再開したことをきっかけに、仮避難先となっていた一軒家は「ぶどうの家BRANCH」として地域住民の集いの場と生まれ変わりました。「AMDAに助けてもらった、今度は私たちにもできることがあれば」と自ら立ち上がっています。ぶどうの家真備が元の地に戻り10か月、同ホームの津田由起子代表にお話を伺いました。

 

AMDA

西日本豪雨では大変な試練を受けられました。[pagebreak]

津田代表

平屋のホームの屋根半ば付近まで浸水しました。当時、利用者はホームにいなかったのが幸いでしたが、利用者を救出するため各自宅を駆け回り、自主避難した利用者と一緒に近くの公民館に避難。10月28日まで公民館で過ごし、その後、支援団体の助けで仮設の建物に移りました。

AMDA

災害を受けた際は辛かったでしょうね。

津田代表

山から見た真備町箭田地区は浸水で覆われ、家の屋根が散在していました。直視できず思わず目を背けましたが、利用者のことを考えると落ち込む間はなかったですね。むしろ災害時だからこそ、いつも通りやらなくてはいけないと、被災当日から介護を始めました。

AMDA

「ぶどうの家真備」が元の地に再開した時の心境を聞かせてください。

津田代表

やっと帰って来れた。ホッとした。うれしかった。本来の姿を取り戻せた。そんな思いが交錯しました。

AMDA

「ぶどうの家真備」は1996年10月に開設。登録利用者は23人ですが、ホームの名称はどんな思いを込められているのでしょうか。

津田代表

ぶどうの一粒は小さいけれど、房になると大きくなります。ホームも利用者やスタッフが寄り添い、ぶどうのような立派な房になろうと名付けました。

AMDA

ホームの運営面で「日常」を大切にされています。

津田代表

玄関はスロープにせず、あえて段差をつけ、浴槽も普通のタイプを導入。トイレの位置も遠くに設けて、日常生活の中でリハビリとなるよう工夫しています。調理や洗濯も利用者に手伝ってもらっています。でも、原則は利用者の自主性に任せ、楽しく、生き生きと生活してほしいと願っています。自宅にいるようなリラックスした生活の継続が大きな狙いです。地域の方々の声を形にしていくのがホームの務めと考えています。

AMDA

ホームのボランティア「縫い真備」では、AMDAが緊急救援の派遣に使用するユニフォームのゼッケンをミシンで縫い上げていただいています。たいへん、お世話になっています。

津田代表

困った時はお互いさま。相互扶助の理念を大切にして、AMDAさんとホームはいつまでもパートナーシップの付き合いが出来たらいいですね。
(聞き手・広報担当参与 今井康人)