2007年8月7日から3日間。第7回スリランカ復興和平青少年交流プログラムを実施。場所はスリランカ中部の山あいにある人口20万人のマタレ市。キリノッチからは24名、トリンコマリーから22名、マ―タレー市から24名の中学生に加えて日本から1名の中学生、3名の高校生、1名の大学生と1名の大学院生が参加。合計76名。2泊3日の合宿形式で交流を深めた。
雨が一日中間欠的に降る気象。初日の午前中は開会式に続き、参加者の絆を深めるゲーム。午後は宗教施設訪問。参加者はいずれかの宗教グループに所属。仏教、キリスト教、ヒンズー教そしてイスラム教である。普通は他グループの施設に入らないだけに興味津々。それぞれの聖職者の暖かい歓迎の挨拶と説明。私にとっても素晴らしい体験となった。
2日目。午前中は日本文化と日本の戦後の歴史におけるスリランカとの関係などの紹介。同時に地元の総合病院の協力により巡回診療を校舎内で実施した。夕方から不思議と月夜になり、キャンプファイアーも各グループの歌の紹介。ウラジヤ踊りを契機にスリランカ特有のインド映画の影響を受けた切れの良い踊りの乱舞となった。民族、宗教、言葉、男女、年齢関係なしの一体感の出現した不思議な光景だった。
躍りは彼らの文化。彼らを招待した「踊る新庄村インターナショナル」は夢か幻か。3日目。演劇交流と関係者のスピーチ。最後に参加証明書と感謝状授与で終了となった。参加者が言語を超えるコミュニケーション能力による喜びを経験したのが最大の成果。復興和平への相互理解のステップである。
2003年1月に明石康スリランカ復興支援日本政府特別代表から、シンハラ、タミルとタミルムスリムの3つのグループの地域に、日章旗をつけて巡回診療を実施して欲しいと電話連絡があった。内戦の激化により2006年から2009年までの3年間の活動の空白があったが、時が経つのは早くて来年の2018年には15周年となる。復興支援を更に強化したい。
具体的には次の3ヶ年計画である。1)青少年交流プログラムに平和教育を加味する。2)人材育成の奨学金に関してコロンボ大学医学部学生の金額の増額と小学校枠を3校から15校に増やす。3)AMDAクラブを設立して小規模融資を開始する。4)「学校保健」推進として2003年から3年間実施した学校健康新聞の復刊。等々。相互理解が相互信頼へと発展する。
和解と団結オフィス(会長は前バンダラナイケ大統領)からの高い評価をいただいた。多数の死者を出した内戦が終わって間もない時期に政府主導の各グループ和解の試みには限界があるようだ。来年には広島県知事の「平和への親書」を届けることになった。
次世代プログラムとしての活用。AMDA中高校生会が成長して来年は広島県高校生と赤磐市中学生が参加予定である。TAPP(トリプルAパートナーシップ)としてコロンボ大学医学部とキリノッチ地区総合病院を研修の場とする。200床。外来700名。16名の医師。70名の看護師。200件/月の全員病院出産と助産師家庭訪問支援体制。40件/日の救急医療。出血性デング熱やレプトスピラ症などの熱帯病があるもマラリア患者の発生はない。在宅訪問診療。加えて、ホームステイによる文化交流を予定している。
なお、スリランカは清潔な国である。政府がデング熱を媒介する蚊対策の環境整備を進めているから。家毎にチェックされ、違反金は約2万円とのこと。
今後ともに当プログラムに皆様方のご理解とご支援がいただければ望外の喜びである。