東日本国際奨学金 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

東日本国際奨学金


2011年3月東日本大震災が発生し直後にAMDA東日本国際奨学金制度が設立されました。当時、岩手県大槌町にある大槌高校の避難所で緊急支援活動のため来日したAMDA海外医療チームと協議をして教育面から被災地の復興を支援することを決定しました。
被災地の高校生を対象に、返済義務のない奨学金を3年間月額15000円で支給するというものです。以降6年にわたり宮城県と岩手県の学校8校、計160名の学生に奨学金を支給してきました。医療従事者を目指す学生を主な対象とし、将来の夢を持ち実現できるようなチャンスとしてきました。奨学金支援を必要としている学生の手に渡り復興の歩みに沿いこの奨学金制度は、今年度を持ちまして終了となります。

各学校を訪問し奨学金事業について説明するとともに、震災当時から現在までの様子を伺うことができました。当時の担当の先生はほとんど移動されて生徒のことをご存じの先生は限られていました。震災後、生徒たちの生活も大きく変わり仮設住宅から復興住宅に移転、転校、地元を離れ進学・就職など、さまざまです。

生徒自ら、アイデアを出し合い寄付を募り地元の町の復興に力を注いだ学校や復興研究会を立ち上げて、学年を超えたつながりを持ちながら震災の体験を後世への記録にするなどの取り組みも聞かれました。下宿の学生が多い専門学校では、震災当日から学校を宿泊や食事の提供をし、学生の安全確保と不安や孤独防止に努めていました。放課後の学校を訪問したところでは、生徒たちから廊下で元気で明るい挨拶で迎えていただき礼儀正しさが伺えました。

次の言葉はある学校の先生のものです。
「震災当時、保護者の母親から『先生、自宅が泥に埋もれ多くのボランティアさんが泥かきをしてくださっているのに家の娘はなーんにもしないんだあ。』
また仮設住宅ができるようになったころのこと。中間試験中は、午前中だけなので普通は帰宅するのですが、仮設住宅の生徒たちは午後も学校に残っている。試験勉強しているのかと思いきや、教室で男子生徒は騒いだりして、帰ろうともしないんですね。」
家庭の居場所としての住居がなくなった虚無感、思い出の品や大切にしていたものが一瞬にして奪われた喪失感でいっぱいだったのだろう。狭小な仮設の落ち着かない環境のストレスの受け皿が学校や先生だったのだろうか。大人でさえ自分はこれからどうやったら生活できるだろう、この先どうなるんだろうとか、気持ちの切り替えは難しい状況だったに違いない。と想像します。当時の生徒が大人になってこの震災を振り返ったとき、周りから支えられ生かされたことを思う時がくると信じ、この体験と教訓を次の大規模災害につなげていく役割を私たちはもっていると考えます。


今回東北を訪問し、お話しを聞かせてくださり、生徒の報告書にご協力くださった
先生方に厚く御礼と感謝申し上げます。そして、岩手県宮城県の関係者の皆さまと復興グルメF1関係者の皆さまにも再会できたことに感謝の思いであり、震災を風化させない強い想い、復興再建に全力で前に進もうとする姿に心を動かされました。
長年にわたり奨学金へご支援くださいました方々にも御礼と感謝申し上げます。

 

難波比加理