ともに年を重ねることができることに感謝 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

ともに年を重ねることができることに感謝


私がAMDA事務局で仕事を始めて丸2年がたった時、阪神淡路大震災が発生しました。当時、経理を担当していた職員の矢部朝子さんは、もともと看護師さんでした。95年1月17日発災当日からAMDAは神戸市長田区保健所に入り、長田区を拠点に活動を開始しました。岡山の事務局には全国から活動参加希望者が集まり、また多くの支援物資が寄せられ、初めての国内大規模災害への対応に、多くのボランティアの熱い思いが大きなうねりになっていました。

もともと看護師さんの矢部さんは、経理業務も大変な中、被災者のひとたちを助けたい、直接手を握り温めてあげたいと、被災地での活動を希望して、早速長田の現場に入りました。
矢部さんのご主人は、当時岡山県警にお勤めでいらっしゃいました。神戸に向かう道路が大渋滞する中で、緊急救援車両として通行できるよう許可を受けることにご尽力いただけた御蔭で、緊急医療チームが毎日岡山から向かうことが出来ました。当時、人気の刑事もののドラマからの引用で、私はかっこいい矢部さんのご主人のことを「七曲署隊長」と呼ばせてもらっていました。

緊急救援活動が落ち着き、暫く経ち、矢部朝子さんは96年退職され、その後引っ越しもされて、時は流れました。矢部さんご夫妻は、ご出身の赤磐市に戻られていました。赤磐市は菅波代表のお母様のご実家である一般財団法人大国家がある和気町の隣の市です。2009年大国家の建物の活用とAMDAとの接点がうまれたところで、矢部さんご夫妻とのご縁も一挙に復活しました。ご主人は定年退職後され、地域の中で様々なお世話役を任される中、事務所内の様々な家具類を作ってくださったり県北の新庄村の野土路にあるAMDA連携有農場のあひる小屋を作ってくださったりと、玄人はだしの腕前を発揮してくだっています。のみならず、県北まで度々足を運んで多角的に農業のアドバイスもしてくださっています。また、ご主人のお父様が戦中インドネシアで過ごされたご経験があることから、ご夫妻でAMDAのインドネシアでの活動に参加くださったりと、本当に様々な貢献をしてくださっています。

事務局が出来て間がなく混沌とした中、最初に矢部朝子さんと事務局でご一緒した時から23年が経ちました。今は、矢部さんも孫の成長に気を配られる世代となられ、リタイアされたご主人とともに、AMDAの活動を様々な場面で支えてくださる、なくてはならない力強いボランティアのお二人です。そしてAMDAのみならず地域社会にも積極的に貢献されるご夫妻の姿はシニア世代の一つの良いモデルのようにも拝見しています。
それぞれに年を重ね、再びこのように長くご一緒させてといただけることに心から感謝しています。

成澤 貴子