2014年10月21日。夢童財団をシンガポールで正式に設立。基金は私の医療法人アスカ会からの退職金である。目的は1994年から毎日新聞のコラム「夢童」に私の夢として紹介してきた内容の具現化である。22歳から始めた国際活動も、70歳を迎えるにあたり、今後の10年間でやるべきことが明確になってきた。私が設立責任のある団体がAMDAに加えて4団体ある。1)GPSP(世界平和パートナーシップ) 。2)国際医療貢献プラットフォーム財団。3)AMDA南海トラフ災害対応プラットフォーム。4)アジア災害医療プラットフォーム(構築中)である。基本コンセプトは「開かれた相互扶助」、「パートナーシップ」、「ローカルイニシアチブ」の3つである。特に「開かれた相互扶助」を世界平和に不可欠な多様性の共存を実現するコンセプトとして啓蒙普及活動するのが目的である。夢童財団の目的はその運営に小規模ながら資金の提供である。私にとって奇跡的に嬉しい状況である。
1984年に設立したAMDAの源流として、岡山大学医学部クワイ河医学踏査隊、アジア伝統医学研究会、西日本医学生アジア連絡協議会、全日本医学生アジア連絡協議会、アジア医学生連絡協議会などを設立してきた流れがある。そして「開かれた相互扶助」を基盤とする上記の4団体を設立するまでの資金は国連機関(主として国連難民高等弁務官事務所)、国際機関(アジア開発銀行、中南米開発銀行等)、日本政府(外務省、旧郵政省等)、地方自治体などの税金と多くの団体や個人の方々の募金である。AMDAは現在AMDAグループとして(認定NPO)アムダ、(認定NPO)AMDA社会開発機構、(NPO)AMDA国際医療情報センター、(任意団体)AMDA International、国際福祉事業団、(任意団体)AMDA兵庫の6団体から構成。なお、AMDA International参加の32ケ国は自主財政である。今日までにお世話になったグループ全体での金額は数百億円になる。時代の潮流も助け船だった。再現は不可能である。感謝の一言しかない。
夢童財団設立以前に個人的に支給してきた奨学金を財団に組み入れた。ミャンマーの助産師、フィリピンの看護師、インドネシア・ハッサンヌディン大学の学生、スリランカ・コロンボ大学の医学生、モンゴル・モンゴル大学の医学生、等々。AMDAの活動の一里塚としての意義づけがあった。当初は家族財団として奨学金支給の性格が強かったが、上記4団体の活動方針が明確になったので、この活動に賛同される方々からのご寄付も受け入れる方向に切り替えた。基金の運用はシンガポール銀行の許アーネスト氏にお願いしている。
不条理とは「どうしてこのような目に合うのか」や「見放されたくない」気持ちに代表される世界である。ただし、「援助を受ける側にもプライドがある」を解決するのがアジアの叡智である「相互扶助」。共同体の論理である。共同体を超えて助け合うのが「開かれた相互扶助」。日本人の見えざる倫理道徳は「他人に迷惑をかけてはいけない、嘘を言ってはいけない、困ったときは助け合いなさい」である。「開かれた相互扶助」は日本人の倫理道徳の延長線上にある。世界では新鮮なお驚きで迎えられる。日本人として当たり前のことを実践することで世界平和に寄与できる。ニュートンの「リンゴは木から落ちる」である。「開かれた相互扶助」をOSとして開発される応用プログラムが楽しみである。ちなみに、冒頭の4団体を応用プログラム事例として理解いただければ無上の喜びである。