毎年3月11日が近づくと、心がざわざわします。2011年以降、私の中の「年度」は4月1日ではなく、3月11日から始まるようになりました。東日本大震災以後、移住を決断し、沢山の大切なモノに別れを告げ、縁もゆかりもない岡山に住むことになり、震災後の数年間は、まるで非現実の世界を生きているような心地でした。この桜の季節はついつい過去に引き戻されてしまします。
そんなセンチメンタルな私を元気づけるかのように、毎年2月から3月にかけては東北復興支援イベントが各地で行われます。アムダでも東北支援に関連する催事がいくつかありました。中でも、2月28日のフォーラム「東北三陸沿岸地域から学ぶ南海トラフ自身への備え」は、東日本大震災で被災した岩手・宮城・福島3県の商店街の方々と、今後起こり得る南海トラフで大きな被害が想定される徳島県美波町役場の方々、赤磐市危機管理室の方々、合計12名をパネラーに、災害への備えについて話し合うという内容で、個人的にも興味深いものでした。各県の方々のお話は、どれも内容の濃いもので、地域のつながりの重要性が話題に上り、それが特に印象に残っています。災害が起きたときは、地域が団結して危機を乗り越えなければなりません。それには常日頃からの近隣の人々とのコミュニケーションが大切で、それがいざという時の力になるというお話でした。
地域の人々とのコミュニケーションの大切さ。皆さんは実感されていますか?長年それは私にはピンと来ないものでしたが、脱サラし農業の道に進むことを決め、福島市に就農し過疎化の進んだ地域に住み始めると徐々に現実味を帯びていきました。農業研修中世話になったご夫婦は、アムダの理念でもある「困ったときはお互い様」の精神や、「結(ゆい)」の心を大切にしており、「地域通貨」を作り活用していました。その姿勢に影響を受け私は変わっていったように思います。地域通貨とは、お互いにできることを「通貨」に置き換え、提供できるものや提供してもらいたいものを交換し合うという仕組みです。それは、必ずしも提供してもらった人が、提供した人に何かを返すというものではありません。私も研修生の時から一員に加わり困ったときには助けてもらっていましたが、ある時は、私がAさんに地域通貨で農作業を1時間手伝ってもらう、ある時は、パン屋のBさんのパンを地域通貨で買わせてもらう、そんなゆるい協力の輪でした。地域とのつながりや大切さを実感できるようになった矢先の震災で、福島市は、空から降ってきた放射能によりコミュニティーが分断されてしまいとても残念に思いますが、地域通貨でつながっていた仲間とは、あちこちみんな散らばってはしまったものの、互いの存在が今も尚心の支えとなっています。
岡山のこの地に住むようになり丸5年がたち、わが家も地域に少しずつ存在を認めてもらえるようになりました。一見面倒くさいと思われるようなさまざまなことがありますが、できるだけ参加し、困ったときには、力を貸してもらい、頼りにしてもらえるような関係を築いていけたらと思います。