無くすということ – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

無くすということ


11月8日、この日私はフィリピンレイテ島にいました。2013年11月の台風30号(フィリピン名、ヨランダ)犠牲者追悼ミサに出席しました。 この台風でレイテ島を含む周辺の島々は壊滅的な打撃をうけ、死亡者は、6千人を超えました。
あれから3年、フィリピンの人々の気質も相まってか、州都タクロバンは活気を取り戻していました。8日夜には、亡くなった方々を偲び、冥福を祈るために1000個のランタンが空にあげられました。
夜空に吸い込まれていくオレンジ色のランタンの光を見ながら私は、今年4月に震災で被災したふるさと熊本の事を考えていました。如何に当たり前の日常の積み重ねが脆いものなのかと・・・。無くしてはじめてわかるものの存在は、これほどまでに自分の心を揺さぶるのかと・・・。3年も経てば熊本の町も人もここまで活気と元気を取り戻すことができるのだろうかと・・・。

それでも無くしたものの後には何かが必ず生まれるということも身をもって知りました。自分が育った故郷が被災して初めて私は、郷土愛というものを感じました。確かに震災で身を切られるほど辛い想いもしました。実家は全壊し、仮設が実家になりました。それでも全国から駆け付けてくださった方々とともに救援、復興に携わることで生まれた新しい出会いと連帯感にささえられました。

そして、まだまだ教えられることもたくさんありました。熊本益城町広安小学校、田中校長先生が、私につぶやきました。「このがれきの中に入ってでも新入生のランドセルを取り戻してやりたか!」と。 震災が起きたのは4月14日、新一年生は、入学式からまだランドセルを3日しか背負っていませんでした。人の気持ちによりそうというのはこういうことなのかと、安易にランドセルプロジェクトを考えた私の浅はかさと災害救援への慣れを田中校長先生は心の声で戒めてくれました。


これまでAMDAで10年以上、国内外の災害支援にかかわってきました。この仕事の原動力は、災害から立ち直ろうとする人たちの強さと、それを支え、「誰かのために」と熱い想いで寄り添う人たち間に生まれる相互扶助の精神なのだと、心底、身をもって気づきました。

2016年が終わろうとしています。
日常は大抵、無くしてからでないとその大切さに気付きません。それでも無くした後には、必ず何かが生まれると希望を信じた一年でした。
2017年は、どうか誰かが何かをなくすような災害は起こりませんように。
AMDAを支えてくださった皆様に心より感謝申し上げ、新しい年の皆さまのご健康とご多幸を心より願っております。

難波 妙