東日本大震災で大きな被害をうけた港町のひとつ、気仙沼を訪ねました。
震災翌日の写真では、急こう配の坂の上にある紫神社の階段裾まで、津波で押し流されたもので埋まっていてその高さは建物の2階部分まであります。
決して大きくはない紫神社は避難者の方々でいっぱいになり、現在南町紫市場気仙沼復興商店街の事務局がある神社の一室6畳程の畳の部屋に大人20人が寝起きしていたそうです。
当時のお話しを聞かせてくれるのは、この商店街の副理事長で、神社総代でもある坂本正人さんです。
震災後AMDAの参与にもなってくださっています。
歯科衛生士として歯科医院で働いていた坂本さんは、発災後、食べ物と衣料の露店を出したことが仮設の復興商店街の活動を中心的に行うきっかけとなったと話されます。
元歯科衛生士の夫人とともにコロッケとバーガーのお店を復興商店街で営んでいらっしゃいます。
町の復興再生にかける熱意が並々ならぬものであることは言うに及ばず大変なアイデアマンでもあります。仮設商店街の中心の十字路の角にカドッコ「cadokko」という共有スペースが作られています。民間のコミュニティスースペースです。
ダンスの練習ができるよう一面のガラスが張られ、また通りに面する二面はガラス張りで外が見えるようにもなっています。
様々な団体がこのスペースを使い、子供の遊び場にもなります。
外の広場でも子供たちが遊んでいるのが見えます。
坂本さんはよくこの言葉を言われます、「前と同じ商店街に戻ったのでは意味がない。前よりいい商店街ならなければ。」坂本さんのお店をはじめ複数の様々な商店の方々が来年度から高台の新設建物内に移ることになっています。そのスペースの中央部分にも「cadokko」と同じコンセプトの、子供と大人が共有するスペースが確保されています。新設建物にはまだ空いている箇所が多く、また新設での坪単価賃借料は当初予定の倍以上になり、引っ越し費用も補助されないなど厳しい現実があります。
そんな中で、「前よりいい商店街を」と目標を掲げ、そのためには、「子どもを大切にするコミュニティ」のコンセプトが大切と考える坂本さんに深く共感しました。
「子どもの笑顔が日本の未来をつくる」このことは私の信じるところでもあります。
紫神社を核とした地域コミュニティの基盤がしっかりと活きている強さが、地元の商店街復興の根っこにあると感じました。
そして、高知や長崎をはじめ日本中の港から漁船が集まり生鮮かつお水揚げ日本一を誇る気仙沼は、港町の文化が息づく町でした。
一度訪れたらまた行きたくなる人が多い理由がわかった気がしました。
AMDAは東日本復興第3次3か年計画の中で気仙沼の支援をさらに推進していきます。
このような志の高い方々に出会う機会に恵まれ、ともに仕事ができることは本当に感謝なことです。