台風の季節が到来し、常々脳裏を過るのは、これから方々で起きるかもしれない災害と、すでに被災経験のある地域で起こり得る二次災害についてです。
人的な災害とは異なり「根絶」という言葉が意味を持たない自然災害ですが、そんな中、私たちができることは何でしょうか。「防災」といってしまえばそれまでですが、今回はその「防災」の根底にあるものについて、日々の業務(翻訳)で感じたことを綴ってみたいと思います。
防災を英語に訳すと、一般的には”disaster(災害) prevention(防止)”などという言葉に置き換えられますが、もう一つ、アムダ・インターナショナルで頻繁に用いられる表現に”preparedness”(プリペアードネス)という言葉があります。これは「準備する」を意味する動詞prepareが名詞化したもので、要は「如何に準備ができているか」という意味です。
日本語でも「備えあれば憂いなし」といいますが、どうもこれを「防災」という一語に置き換えることに、個人的にある種の“距離感”を覚えずにはいられません。なぜなら「防災」という言葉には、それほど差し迫った響きがないからです。
「如何に準備ができているか」、「備えあれば憂いなし」・・・これら二つの表現と比べた場合、直接的な危機を喚起する何かが、この「防災」という二文字には足りない気がするのです。一方、英語のpreparednessには、「覚悟」や「心構え」といった意味も含まれます。
「防災」という言葉の真意は、むしろ被災後に感じるものではないでしょうか。その点、英語のpreparednessは、「準備ができていなかった場合にどうなるのか」といった因果のようなものさえ示唆しているように思います。
氾濫を極める和製英語や外来語のリストに新たな一語を加える気は毛頭ありません。しかし、「防災」という単語を目にした際には、“防災を怠ったことで起こり得る事態”を想定することが大事なのではないかと、改めて感じた次第です。
日々、各国支部とのやり取りの中で得たこのような気付きに感謝したいと思います。
「突然ものが上から落ちてきて、何がなんだかわからなかった。」と語る熊本地震の被災者(アムダの動画より)