「トリプルAパートナーシップ」構想 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

「トリプルAパートナーシップ」構想


先月24日から6日間。台湾の台北でAMSA(アジア医学生連絡協議会)東アジア会議が開催された。アジア・大洋州の15の国と地域からの314名の医学生が参加。その開会に際して、AMSA創設者としてのメッセージを要望された。内容を紹介したい。

AMSAの皆様にこのメッセージを送れることを大変幸せに思います。ご存じのように1980年にAMSAを設立しました。その時のスローガンは「将来のアジアのためにより良き医療プロジェクト」でした。多くのAMSAの先輩たちが各国で臨床から行政まで幅広く活躍しています。そして2015年に同窓会組織のAMSA  Alumni Clubも設立されました。なお、AMDAを1984年に設立しましたが、そのスローガンは「救える命があればどこまでも」です。

皆様が学ばれている知識は経験によって知恵に昇華します。知恵こそ社会が必要としています。AMDAとAMSA  Alumni Clubは皆様が経験する場を提供できると思います。また、アジアで大災害が発生した時にはAMSA、AMSA  Alumni ClubとAMDAが協力して被災者の医療にあたることができればと思います。このような協力関係を「Triple A Partnership」と命名したく思います。世代を超えての相互扶助は新たな信頼を構築します。これが可能になればAMSAとAMDAの二つの団体の創設者として私の最高の喜びです。医師免許の使命は「人を助けろ、人を救え、人を見放すな」です。「Triple A Partnership」の基本精神です。医師免許を与えられた仲間として皆様にお会いできる日を楽しみにしています。最後にAMSA東アジア会議が成功裏に終わることを心からお祈り申し上げます。

AMSA設立から36年。光陰矢の如し。一緒に立ち上げた牛尾光宏先生(昭和57年岡山大学医学部卒)が昨年10月1日付で厚生労働省大臣官房審議官(がん対策、国際保健担当)を最後に退官。退官後はJICAの技術協力専門家としてベトナムのハノイで活躍予定。同じく一緒に立ち上げた遠田耕平先生(昭和58年秋田大学医学部卒)も一貫した信念に基づき、WHOの拡大予防接種計画(EPI)の専門家としてベトナム、現在はフィリピンの第一線で貢献している。私たち3人のご縁は1980年のタイ国カオイダンでのカンボジア難民救援活動だった。

私たち日本人はアジアの人たちに対して助けることだけを考えがちだが、昨年4月に発生したネパール大地震では唯一の国立大学で、欧米の海外医療チームの協力を断り、ネパール人医師たちだけで骨折などの手術を行った。著しい医療レベルの向上である。相互扶助とは助け助けられの関係。だからこそ信頼関係が構築できる。

近い将来に発生する南海トラフによる地震と津波被害は甚大と予測。日本国内だけの解決は不可能。海外医療チームの受け入れ対策が不可欠である。AMDA南海トラフ対応プラットフォームは高知県知事と徳島県知事との協定のもとに10カ所の避難所医療活動準備を進めている。欧米のみならず、アジアでは台湾、韓国、中国、香港、マカオ、シンガポール、フィリピン、マレーシア、ベトナム、インドネシアなどの医療チーム受け入れを念頭に置いている。特に、文部科学省奨学生として留学経験のある医師の存在は重要である。

GPSP(世界平和パートナーシップ)構想にもこの視点があることをご理解いただければ幸いである。