被災者への支援の時に感じた事(感謝の気持ち) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

被災者への支援の時に感じた事(感謝の気持ち)

ネパール中部大地震発生から6ヶ月が経ちました。地震で村全体が被害にあって、住めなくなった住民は未だにテントでの生活を送っています。AMDAは地震発生直後の緊急医療支援活動に引き続き、復興支援として、被災者への医療支援、ならびに心の問題を抱えている患者に精神的なケアを継続して提供しています。また、9月末にはRSK山陽放送の方が、AMDA菅波代表とともに被災地の状況と実施中のプロジェクトを取材するためにネパールを訪問しました(写真中央右が菅波代表。同左が筆者)。

ネパールは2008年に連邦民主共和制への移行が宣言され、240年近く続いた王制が廃止されました。2015年9月20日にネパールの新憲法が公布されましたが、ネパールの新憲法に対するインド政府の間接的な介入によってネパールへの物資の輸出が止められました。このような状況の中、ネパールの人々は日常生活に必要なガソリン、ガスなどが不足し、大きな自然災害の後に人為的災害にも見舞われました。しかし、ネパールの人々はお互いを助け合いながら、この困難な生活を懸命に乗り越えようとしています。

そのような状況の中、私たちはRSK の取材班とともに地震の震源地であり、被害が最も大きかったシンデゥパルチョク郡のチョタラに行きました。シンデゥパルチョク郡では3000人以上の人が亡くなり、ほとんど人の家が全壊しました。未だに外傷とともに、精神的な傷を抱えている被災者も多くいました。眠れない、頭が痛い、怖いなどの症状を訴える患者さんが、AMDAの仮設診療所を定期的に訪れています。今回の取材は、その診療所の様子はもちろんのこと、患者さんの家を訪問して彼等の現状を自ら確かめるのが目的でした。


仮設診療所のスタッフが、地震で家が全壊し、家族とともに畑に仮設住宅を建てて住んでいる患者さんのところに訪問できるよう、セッティングをしてくれました。その患者さん(写真左)は4人の娘と1人息子の父親で、元々はとても明るくて社交性のある方だったそうです。地震の後は眠れなくなり、家族の将来の事などが不安で朝からお酒を飲むようになったそうです。知り合いに紹介されAMDAの精神科医に診てもらうようになって、少しずつ良くなってきているという情報を得て、RSKの取材班と一緒に彼のところを訪ねました。

訪ねた時間は夕方の4時ぐらいで、夕食の準備するのには少し早い時間でした。壊れた家の裏手を少し歩いていくと、だんだん畑があり、そこには煉瓦の壁とトタン板屋根の仮設住宅が30件程あちらこちらに建っていました。だんだん畑を少し下って、右に曲がると山羊や鶏がいて、その奥に小さな台所と寝室が1つあり、家族全員がその寝室に寝ているとのことでした。台所では娘二人がチキンカレーを作っていました(写真左)。親戚全員の家が全壊し、畑で取れたトウモロコシ、ジャガイモと家畜もすべてが下敷きになったと話をしてくれました。診療所に通うようになって健康状態も少し回復しているとのことです。しかし、若い娘たちを持つその父親は、今後の生活にとても不安を抱えていました。被災者たちのこのような状況は誰もが心を痛めます。一刻も早い回復を祈りばかりでした。
その時に、先ほど作っていた料理が出てきました。なんと私たちへのおもてなしの料理を作っていたのでした。決して良い暮らしではないのに、ネパール人のおもてなしの心は忘れていなかったのです。とても感動的な瞬間で、思わず涙が出ました。心からありがとうと伝えたら、家族全員の顔がとても明るくなり、こんなにつらい時でも自分が人のために何かができ、喜びを彼らが感じた瞬間だと思いました。被災者に支援をして感じたことは、一方的な支援よりも向こうにも何かができる場があることは重要ではないかと思いました。このチキンカレーの味を、私は同じネパール人として忘れることはないでしょう。

AMDAインターン(ネパール出身) アルチャナ・シュレスタ・ジョシ