海外で仕事をする夢が実現したAMDAとの出会い – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

海外で仕事をする夢が実現したAMDAとの出会い

私がAMDAで働かせていただくようになって、間もなく1年が過ぎようとしています。 AMDAのことを知ったのは小学校高学年の時。授業中、社会科資料集に載っていた写真を目にした時でした。実はその時まず目に留まったのは、AMDAの活動写真の隣に載っていた農業指導をする青年海外協力隊員の姿でした。最初はそちらの姿により魅かれていたのですが、一方で紛争地の子供の胸に聴診器を当てる一人の医師の姿も、私の脳裏に深く刻み込まれました。「とてもすごい人たちだ!!」ーそう思ったのを今でも覚えています。このことがきっかけで、私もいつか青年海外協力隊やAMDAの人たちのように、海外で仕事をすることが自分の夢になっていったのです。

高校卒業後、農業開発関係の学部に進学。卒業を前に青年海外協力隊の試験を何度か受けましたが、健康上の問題でなかなか受かりませんでした。それでもあきらめきれずに受けた7度目の試験でようやく合格。最初に派遣された場所は、インドネシアにあるスラウェシという島でした。そこで私はAMDAグループの職員の方に
出会ったのです。「やっぱりAMDAの人は世界中で仕事をしているのだ」と実感した瞬間でした。

その人を通じて、AMDAがアジアで有機農業を普及するプログラムが立ち上げたことを聞き、私もぜひこのプログラムに関わっていけたらと岡山のAMDA事務所に連絡をとりました。AMDAの人たちは私の申し出を快く受け入れてくださり、今に至ります。
このプログラムを通して、私は沢山の人に出会いました。自分たちの持つ農業技術を惜しみなく教え伝えてくださる岡山県新庄村の農家の人たち。
日本からの技術を取り入れてお米の収穫量が増え、喜ぶインドネシアの農家の人たち。
私たちの海外での活動を支えてくれているAMDA事務所のスタッフ。
そしてまた、AMDAの活動を応援し、共感し、さまざまな支援してを下さる方々。
全ての人たちに支えられて、これからも有機農業普及プログラムは続いていきます。
全ての人との出会い。憧れていた海外で働けていること。感謝の気持ちと共にこれからも歩いていきたいと思います。

有機栽培に成功した大豆を見つめる農家

稲の生育調査を終えた農家

今年のお米の収穫量は、去年と比べ3割増えた

AMDAフードプログラム・マネージャー 田中 俊祐