母と子の病院の周産期病棟竣工祝賀式に参加して – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

母と子の病院の周産期病棟竣工祝賀式に参加して


AMDAネパール支部のメンバーと筆者(中央)

2013年3月14日。ネパールのブドワールに1998年に開設したシッダルタ母と子の病院に新たに増設した周産期病棟の竣工祝賀式に出席した。今回の増設は外務省の日本NGO連携無償資金協力の補助金をAMDAクループのAMDA社会開発機構が受け竣工に至った。98年の開院以来、首都のカトマンズ以外では唯一の母と子の専門病院である
95年の阪神大震災被災者に対する日本留学中のネパール人医師たちの貢献に感謝して、シッダルタ母と子の病院組織委員会が発足した。当時の毎日新聞大阪本社社会部・朝野富三部長と藤原健阪神支局長の積極的な支援、大阪ガス「小さな灯運動」、松下電器産業労働組合、東京渋谷ライオンズクラブ、生活協同組合コープこうべなど阪神地域をはじめとする多くの毎日新聞読者の方々の募金とにより1998年に設立に至る。
93年からネパールブータン難民医療支援プロジェクトに参加してくれていた故篠原明医師が、この病院設立に対して亡くなる間際まで尽力してくれた。そして設計は安藤忠雄氏かボランティアでしてくれた。初代院長のラメシュワル・ポカレル医師(AMDAネパール支部創設者)は3年間カトマンズを離れ悪戦苦闘してくれた。関係者の方々に改めてこの紙面をかりて感謝したい。
病院建設後も毎日新聞各社会事業団はじめ多くの方々のご支援をいただき、AMDA兵庫県支部やAMDA社会開発機構などAMDAグループの協力のもとに、ネパール西部では重要な病院として発展。年間出産数は3000を超える。
現在の医師数21名。看護師57名。職員の総数は149名。ベッド数は154床である。周産期医療と看護体制の強化が今後の目標である。現在では、高知大学医学部に前者、岡山県立大学に後者の支援をいただいている。ビノー現院長の岡山済生会病院での1年間研修も付記したい。
祝辞として二つの夢を紹介した。一つはバングラデッシュのダッカに94年に設立された日本‐バングラデッシュ友好病院(内視鏡手術、心臓外科や脳外科などの高度医療)と2014年秋にインドのブッダガヤに開設予定である日本‐インド友好病院(小児心臓外科)と当病院(周産期医療)の相互協力体制である。現実的には、3つの病院間の医療情報‐技術‐人的交流の推進である。この3者間協力の支援としてAMDAがこれまでに各国の医科大学と締結している包括協定が生きてくる。各国の医科大学の臨床実習関連医療施設となれば多国間医療協力の場ともなる。
二つは南アジアや西アジアの災害被災者救援活動のためにAMDAインターナショナル直属の各病院からAMDA多国籍医師団に医療チームを派遣することである。いずれの国も過去に災害が多発している。この三つの病院が災害拠点病院としてAMDA多国籍医師団の被災者救援医療活動を強化する。
ネパールのシッダルタ母と子の病院はヒンズー教、インドの日本-インド友好病院は仏教、バングラデッシュの日本‐バングラデッシュ友好病院はイスラム教を背景にしている。各国ともに3つの宗教の信者の居住がモザイク状をなしていて少数派に対する社会的差別が存在する。三つの医療機関相互協力体制は「開かれた相互扶助」の良きモデルである。例えば、日本-バングラデッシュ友好病院は、昨年10月、バングラデッシュ南東部ラム村で発生したイスラム教徒による仏教徒の寺院や住居焼き討ち事件発生直後に村に緊急救援チームを派遣している。「救える命があればどこまでも」。AMDA多国籍医師団の深化である。