4月25日に発生したネパール大地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
ネパールを襲ったマクニチュード7.8の大地震は、首都カトマンズを含めネパールに大きな被害をもたらせました。私は、翌26日に岡山を出発し、発災から約48時間後にカトマンズに到着しました。その時のカトマンズ市内は、昨年12月に訪問した時に私が見た光景とはあまりに違い衝撃を受けました。観光客が多く、色鮮やかな店や屋台が立ち並ぶ賑やかなカトマンズは、色を失い、車の数も少なく、全ての店は閉まっていて、ただ多くの人々が至る所で毛布を抱えて不安そうな表情で彷徨っていました。そんな中、AMDAネパールの皆さんがケガを負いながらも必死で救援活動にあたっていました。AMDAネパールの皆さんは、各自の判断で、それぞれの被災した場所で地震直後から活動をしていたのです。余震が続き、食べるものも家族で小さなビスケット一袋で水も分け合う環境の中、活動している姿に胸が熱くなりました。
私たちは、空港からそのままAMDAネパールの活動地に行き情報収集をしましたが、通信状況が非常に悪いため情報は錯綜していました。どこの地域がどれくらいの人が被災しているのかは想像もつきませんでした。翌日は、AMDAネパールのメンバーも活動しているトリブバン大学附属病院に行きました。当時のトリブバン大学附属病院は、多くの患者さんが殺到して、手術する医師はいても、手術するスペースや器具が足りなく、手術を待っている患者さんのベッドが外にまで並べられていました。また、次々に運び込まれるご遺体の処理も追いついかない状況で大変混乱していました。その中でも、AMDAネパールのメンバーは駆け回って救援活動をしていました。その後、私たちはカトマンズから被災が一番大きいと情報のあったシンドゥーパルチョークを目指すことになりました。シンドゥーパルチョークまでの道のりは、至る所が土砂崩れを起こしていることから、崖の縁はトラックなどの大きい車は通れなく、乗用車一台がやっと通れるものでした。無事に到着した私たちは、地元の人から近隣に1000人以上の患者さんがいるという情報をうけ、その場所にブルーシートで仮設診療所を開設しました。その後この仮設診療所は、ダマックAMDA病院のチームが引継ぎ、昼夜問わずに患者さんの対応にあたりました。また同時期に、AMDAネパール子ども病院のチームもゴルカでの活動を開始していました。
発災から3日経つと、家が残っているネパールの皆さんは、一斉に各自の家に戻り、車も多くなり、次々と店が開き始め、様相が一転しました。まだまだ支援が行き届いていない地域は多くありましたが、多くの人が順次ネパールに入り、物資もネパールで手に入るようになり、支援が次々と各地で開始されていきました。最初の3日間の余震が多く、電気も店もなく、食料や水を手に入れるのも大変困難な状況の中、各自すぐに救援活動を開始したAMDAネパール支部の皆さん、母国のためにすぐに被災地に駆けつけて救援活動を行ったダマックAMDA病院チーム、AMDAネパール子ども病院の皆さんの活動は、被災地の人たちに大きな勇気を与え、多くの命を救ったことだと思います。
私にとっても、ネパールの皆さんの活動している姿は、一生忘れられないものとなりました。