AMDA理事 難波 妙
10月26日、佐藤仁 宮城県南三陸町長が岡山市のAMDA本部事務所を訪問。災害直後に南三陸町で支援活動を実施したAMDAに感謝状をいただきました。佐藤町長のAMDA訪問は2014年に続き、2回目となります。
贈呈に際し、佐藤町長「奈落の底に落とされたとき、手を差し伸べてくれた恩義を、生涯忘れることはありません。助けてもらった記憶をもとに、ほかの地域が被災した際には必ず返すことを、町民と、町を担っていく次世代に伝えたい。」と述べられました。
2011年3月11日の東日本大震災の津波で南三陸町は町全体の70%の住宅がほぼ全壊、800名もの方が亡くなるという甚大な被害を受けました。佐藤町長は、今回の訪問に同行された町職員、髙橋一清総務課長と辛うじてあの未曾有の災害を命からがら生き延びた当時の状況を振り返り、壊滅した町を復興しなければ死んでも死にきれないと、ここまで町民に支えられて復興に邁進してきた、と話されました。また、今回同行されたもう一人の同町商工観光課職員、佐藤守謹様が、九州の派遣職員から、南三陸町に移り住んだ事も紹介されました。
佐藤町長は、被災経験を活かした災害支援ができる町として、災害協定のある自治体には、遠慮せず頼ってほしい。助けてもらった記憶が消えることはないと、コロナ禍でありながら既に140か所を訪問されたことを話されました。
AMDAは震災直後、南三陸町の志津川小学校の避難所で医療支援活動を開始。その後も3年間に渡り、医療ボランティアの派遣を行いました。加えて、2013年から始まった東北の活性化に向けて地元の方々とともに開催する、復興グルメF1大会は、南三陸町でもこれまで4回開催され、地元住民の方々と岡山から参加したボランティアがともに、被災地の商店街から出品された自慢の一品を味わいました。
この度、佐藤町長より感謝状を受けたAMDA菅波代表は、佐藤町長のこのような姿勢から、被災経験が浸透して引き継がれる本当の社会教育、次世代教育がされていると感銘をうけ、このご縁は人とともに作り上げてきたもので、このご縁が更なる南三陸町の発展につながるよう、南三陸町の特産品の市場開拓などを含め、将来展望について佐藤町長と町職員の方々と熱心に語り合うひと時となりました。
AMDAは南三陸町の更なる発展を願っております。