ロヒンギャ難民支援 NPO法人TMAT医師からの報告2 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

ロヒンギャ難民支援 NPO法人TMAT医師からの報告2

NPO法人TMAT / 福岡徳洲会病院 医師 鈴木 裕之
(派遣期間:平成30年11月23日~平成30年12月1日)
(派遣場所:バングラデシュ、コックスバザール)

商店・市場・床屋・学校、そしてモスク、、、もはやここは「町」だ。

首都ダッカから飛行機で1時間、ビーチリゾートのCox Bazar からさらに車で1時間半ほど行くと、原宿にも負けない人混みのエリアが忽然と現れる。たしかに家々は竹とビニールで作られてはいる。だが難民「キャンプ」というよりは仮設住宅といった方がしっくりくる。ここで約100万人の難民が生活しているという。

100万人と言えば仙台の人口とあまり変わらない。仙台市民全員が森の木を切り開いて暮らしている状態を想像できるだろうか?

いかに過密状態なのかは分かるだろう。







その中で同じように竹で編まれてはいるが、非常に繊細な作りの建物がNGO・AMDAの運営するクリニックだ。今回、我々NPO法人TMATの2名は、AMDAとの共同プロジェクトのメンバーとして難民キャンプに入った。

AMDAバングラデシュの医師と我々は、1日に100名ほどの患者を診療した。

普通の風邪や高血圧
 赤痢や回虫(寄生虫)
 結核や水痘
 疥癬などの皮膚病

日本では珍しい疾患の患者も毎日クリニックを訪れる。地元の医師に薬剤名を教えてもらいながら、メトロニダゾールや抗真菌薬、抗寄生虫病薬などを処方し続けても、翌日もまた感染症の患者が訪れる。結局は衛生環境が悪く、常に過密状態なので感染の伝播を抑えることが出来ないのだ。彼らは手で食事を食べるので、(例え右手と左手を使い分けても)永遠と感染は続くのではないだろうか?

そう言えば人類の寿命が延びたのは、医療の発達よりも上下水道の整備といったインフラの整備の方が、大きなインパクトだったと聞いた事がある。ここにいると、インフラ整備に関わる職業の方に尊敬の念を禁じ得ない。診察は日本語→英語→バングラデシュのベンガル語→ロヒンギャの使う言葉というように二重三重の通訳を介することになる。もちろん問診に苦労する。だが身体所見は世界共通だ。バイタルサインも世界共通だ。我々は地球の裏側にいても患者さんを診察する事ができる、なんと幸せな職業だろう。

だから地元の医師と同時に「TB(結核)だ」とハモった時、何とも言えない喜びを感じた。

AMDAバングラデシュ医師と話し合う様子









ベストセラーの「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」によると、アドラー心理学では、共同体の中で何事か役立っていると感じた時に幸せになると考えるらしい。国際医療活動に携わる時、我々はこの共同体感覚を感じて幸せになる。時には褒められることに中毒になって、承認欲求を満たすことに夢中になる。
・・・ではロヒンギャの人々はどうやって承認欲求を満たすのだろう。ミャンマーで迫害され、バングラデシュではキャンプに隔離され、いずれの国からも必要がない存在として扱われている。何も仕事をしなくても、月に15kgの米を配給される。彼らは簡単にミャンマーに帰るつもりはない。

1991-1992年にも大量の難民がやってきた。それからもう25年以上たつが、2万人がずっとここで生活しているらしい。すでにキャンプの中で生まれた子供も相当な数に及ぶ。彼らは生まれた時から「社会に必要ない」存在として成長していかなければならない。キャンプの中にある簡素なモスクで祈る人々。小さな仮設住宅に身を寄せる人々。彼らがすがれるのは宗教と家族だけなのかもしれない。

今回我々の活動に御協力いただいたAMDAの皆さん、日本バングラデシュ友好病院の皆さん、TMAT事務局の皆さんに感謝いたします。