ミャンマー国内避難民医療支援プロジェクト(下) – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

ミャンマー国内避難民医療支援プロジェクト(下)

AMDAグループ代表 菅波 茂

行きの船

10月26日に仏教徒が国内避難民として居住するキャンプをCRR(ラカイン復興委員会)と視察した。シットウエイの郊外にある川の小さな船着場からフェリーで目的地に向かった。1時間半かかった。川はいつの間にか大きな河となりインド洋に出た。そして様々な大きさのフェリーで賑わう船着き場に着き下船した。そこから迎えの車に乗った。数ケ所の警察の検問を通過して、CRRが設立した仏教徒の国内避難民が居住するキャンプに1時間で到着した。約1千人が4ケ所のキャンプに分かれて生活している。途中で観察した海岸に沿った広大な農地はロヒンギャの人たちによって耕作されていたが、今は放棄され、誰も耕作していない。個々の農地は細々とした小規模であり、ロヒンギャの農民達の生活の貧困さが容易に推察された。

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国内避難民キャンプ入り口

約100世帯で約3百人が生活するMaung Taw Townshipにあるキャンプを訪れた。道路から百メートルぐらい入ったところにブルー色の屋根の家々の集落である。電気は自家発電機により午後6時から9時までの3時間しか使用できない。したがって、家屋は風が入るように開放的である。そして雨季に備えて1メートルほどの高床である。子ども達がはしゃぎ、犬も走り回っている。一見のどかな風景であるが、仕事がない。付近の農家のお手伝いをして収入を得ているとのこと。

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私たちを案内してくれたCRR副会長のキム氏が4人の赤ちゃんの母親にお祝い金として5千チャット(4百円弱)を渡していた。彼曰く「この子たちはみんな私の孫、孫」と。

最初に、歓迎の昼食をいただいた。野菜中心のおかずに、鶏と魚のカレーがだされた。キャンプ内の避難者の方々がぞろぞろ集まって、私たちを取り囲んで興味深そうに眺めていた。この時に美味しいからといって全部食べてはいけない。後から彼らが食べるのである。残すのがマナーである。日本の食習慣では残すのが失礼になるが。彼らがこのようなごちそうを食べることはそう頻回にない。だから集まった人たちが私たちの食事を見つめているのである。そういえば、韓国の宮廷のドラマでも同じだった。王様の前に食べきれないほどの数々の品数の料理が並べられる。後で残りを女官たちがいただくのだった。

助産師さんと

助産師のMai Cho Cho Aung氏を紹介された。36歳である。英語が話せた。出身民族はチン族。15歳から3年間ヤンゴンの病院で勤務しながら助産師免許の修得。出稼ぎでタイに行き、ラカインの人と結婚してラカイン州に居住。内紛に巻き込まれて国内避難民となりCRRの設営したキャンプ内で夫婦一緒に生活。一男一女は結婚し、すでに独立している。現在は、助産師の知識と経験を活かして、ボランティアでキャンプ内の人たちの出産のお手伝いや疾病の相談を受けている。根底には栄養の問題があると話してくれた。CRRのもとで4ケ所のキャンプに居住する約1千人の人たちの健康管理と治療の必要を認めれば近くの病院(車で2時間)に紹介する業務を提案した。喜んで受けてくれた。勿論、有給である。AMDAから月給がCRRを通じて支払われることや、日本の支援者に対する活動の報告を毎月する必要があることを理解してもらった。やる気満々が頼もしい限りである。

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避難民が手を挙げているところ

その場に集まってきた人たちに質問をした。「あなた方は農業をしたいと思いますか」と。その場にいた人たちは男女を問わずいっせいに手を挙げた。「やりたい」と。ロヒンギャの人たちが放棄した耕作地が荒れるままになっている。以前は、彼らの親たちが耕作していた土地である。これに関しては株式会社ケイワイノベーション(keiwa-i)の北川昌昭社長が、CRRとの協力のもとに、グランドデザインを考えている。ただし、実施には政府の許可が必要である。完成すれば皆様に紹介したく考えている。

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この健康と農業プログラムはAMDA- keiwa-i -CRRの3者共同プログラムとして具現化できればと思っている。なお、バングラデッシュのコックスバザールにあるロヒンギャ難民キャンプに居住している人たちにはAMDAバングラデッシュ支部を中心として医療支援を実施している。ヒンズー教徒の国内避難民にはどのような対応をしたらいいのかAMDAインド支部と相談をしたく考えている。

ミャンマー医師会長・事務局長と

帰国前に、ミャンマー医師会にラカイン州支部の紹介に対するお礼と私たちの取り組みを説明するために訪問をした。驚いたことに、ライ・ムラ医師会長はラカイン出身だった。祖父はミャンマーで最初の銀行を開設した人で、父はオックスフォード大学に留学して帰国後に活躍をしている。ライ会長は8人兄弟の6人目としてヤンゴンで生まれている。いずれにしろ、ムラ一族はラカイン州では名門である。ちなみに、ヤンゴンに移った後の一族の家はシッドウエイホテルとして活用されている。ローカルイニシアチブのコンセプトに基づいて、今後の良き指導と助言をお願いした。加えてお願いしたことがあった。2017年から横倉義武世界医師会前会長(日本医師会長)のもとで設立が進められている世界医師会-アジア大洋州医師会連合災害医療ネットワークが稼働する時には、日本とミャンマーの友好推進のために、災害発生時にミャンマー医師会の医療チームに日本の医療チームを積極的に迎えて欲しいという要望を快く受けていただいた。

なお、日本大使館にもAMDAとしての取り組みの方針の報告をした。岩瀬書記官から、日本大使の陣頭指揮のもとに、日本政府、ミャンマー政府そして国連諸機関の調整役として積極的に複雑な状況の中で問題解決に向けて尽力されている現状の説明をしていただいた。心強く思い、親日的なミャンマー国民のために是非ともに成果を上げて欲しいと思った。

最後に、AMDAは1995年から中部地域のメッチラーの保健医療プロジェクトからはじまり今日に至るまで数々の保健医療活動を継続している。現在はAMDA Mindsが引き継いでいる。当時からケッセン保健大臣(現在は退職)にはお世話になっている。その幅広い人脈には驚かされているが、今回の国内避難民医療支援プロジェクトの趣旨と方針を説明した。AMDAとして判断ミスを起こさないように、しっかりと助言をしていただけることを約束してもらった。

今後ともに、皆様方のご理解とご支援がいただければ望外の喜びである。