緊急救援ネットワーク 看護師 竹内 美妃
(平成30年9月14日~平成30年9月18日に活動頂いた、看護師の方のご報告です)
1) 支援活動参加の経緯
-参加に至る経緯についてお書き下さい。今回参加を決断された理由は何ですか?
国内外問わず、看護師としてどのような現場でも私に支援できることがあれば参加しようと、14年前よりERネットワーク看護師として登録しておりましたので、常に派遣要請に待機している状態ではありました。今回は特に、直接派遣要請のご連絡を頂きましたので、ありがたくお引き受け致しました。
-参加されることになった後、職場の協力体制はどうでしたか?(不在中のシフトなど簡単に)
家業の酪農業は、今回の災害で被災を致しましたが、1週間は家業の復旧のために尽力しましたので、その後は家族も快く被災地支援へ送り出してくれました。また、日頃の職場の同僚は、私の活動を日頃から理解してくれていますので、出動前より「支援に行く時には連絡下さい」と、すでに支援に行くこと、竹内不在を想定して、協力体制で待機してくれていました。
-参加する前にどのような意気込み、お考えをお持ちでしたか?
自分のできることは限られますが、少しでも被災地で力になれればという気持ちで参加しました。
2)業務報告
-出発から帰国までの活動概要はどのようなものでしたか?
避難所に常駐し、避難所内の環境整備に努めるとともに、被災者の方の血圧測定や健康相談を行いながら健康管理に努め、疾病に対しては医療支援団体と連携して受診につながるように行動しました。外傷、打撲等がある方に対しては、毎日創部の確認を行い、経過観察を行いました。年齢に応じて、子供たちには遊びの場を、お年寄りには日中、会話や体操を共に行い、また、若い世代で日中自宅の片付けに向かわれている方には、近隣であれば共に訪問して力になれることはないか尋ね、夕刻避難所へ帰宅後は1日の疲労が癒されるよう、会話や食事を共にしながら体調の管理に努めました。無理のない範囲で、災害時の思いをこちらに表出される方であれば、お話を傾聴することでできる限りの精神的なケアを行い、また、生活面で抱えている問題点については、適宜関係機関に確認や連絡、調整を行い解決できるよう対応しました。他、他の医療団体との連携、避難所に来られる多職種のボランティアさんたちとも連携、交流し、皆で復興の一助となれるよう関わっていきました。
3)気付き・反省点
-日本での通常勤務との違いはどのようなものでしたか?
被災地では災害という思いもかけない痛みを背負い、突然、予期しなかった不自由な避難所生活という環境の中での暮らしを強いられていますため、通常の、自宅、病院で自身の病と闘っている患者様とはまた全く違う環境にあり、精神面においても繊細な対応が求められる現場でした。そこで活動する看護者は、まさに普段の人間性が問われる、深い現場であると感じています。
-過去の活動(もしあれば)と比較して、どのような気づきがありましたか?
前回、12年前にフィリピンのレイテ島での活動に参加させて頂きました。フィリピンではなかなか思うように被災者の方と言葉のやり取りができずに精神的なフォローができなかったことが心残りでしたが、日本においてはこの点では少し、力になれることもあったかとは思います。ただ、災害の被災という現状は、海外でも日本でも同様であり、災害で得た教訓は、お互いに活かしながら、フィリピンで経験したことは日本に、日本で経験したものは海外に、互いに次の支援活動に活かすべくことが多々あると思いました。
-活動中に戸惑い、困難はありましたか?あれば、それはどのようなものでしたか?また、それをどのように克服しましたか?
自分自身の活動自体は、アムダ本部様、調整員の方が、しっかりと被災地での活動をフォローして下さっていましたので、不安や困難はなく、安心して活動をすることができました。ありがとうございました。避難所で、被災者、支援者、それぞれが多くの立場での問題や困難は多々ありましたが、これらは、関係機関と皆で連携、協力し合うことで克服、または何らかの形で解決の方向へ進めていくことができたと思います。
-次回参加されることがあれば、どのような点を改善したいと思われますか?
避難所に支援活動に入った際、今回はまだ避難所内に緊急対応のための個室を設置していなかったため、早急に設置しておくことや、地域内に福祉避難所の開設を要請すること、既往に精神科疾患を持つ方がおられるのか、在宅酸素療法中の患者、透析患者、妊婦、産婦、乳児の有無といった情報を地域の保健師さんから早急に得ておくこと、小児、高齢者といった年齢に応じた方への対策も迅速に進めていく、といった必要性はあると感じました。
4)次回参加される方へ
-医療活動について
さまざまなバックグラウンドを持つ医療者の方が参加されると思います。災害支援はいつもその時によって流動的で、常にその場での臨機応変な対応が求められますため、日頃の経験を活かしながらも落ち着いて、被災地で今できる医療を精一杯、柔軟に対応するように心がけることが大切かと思います。
-現地での生活に関して
被災地ですので、自分達支援者も全て被災者の方とともに不自由な状況にありますが、被災地には、支援者が入ったことでさらなる負担をかけぬよう配慮することも大事なことだと思います。また、支援者にとっても日常と異なる過酷な状況での活動でもありますため、無理をし過ぎず、食事、休息はしっかりとるなどして、自身の健康管理にも十分気を配って活動してほしいと思います。
-どのような点を改善すればよりよい活動が実施できると思われますか?特に、専門的見地からお答えください。
看護者として、第一に被災者の方のため、被災地で今できることを精一杯、柔軟に、温かい気持ちで対応していくことが大切と思います。そしてさらに看護職は、共に活動する医師を支え、協力し、発災直後より奮闘している調整員の方の健康面、精神面でも気を配ることも、重要な業務と考えております。看護者は、被災者を救うため、そして被災地で良い活動を行うために、医療チームのより良い人間関係の構築と、チームワーク作りも役割の一つだと思います。
5)被災者の声
-被災したときの状況、AMDAの活動に関する感想など、被災者との交流の中で印象に残った被災者の発言や行動があればお聞かせください。
被災直後でしたので、被災者の方の口からは、アムダの活動に関する感想などは表出されない時期でしたが、町の保健師さんにご無理をしていないか声かけしました時、「いえいえ、皆様のように来て頂いている方に比べたら私たちは休めていますし、本当にこちらはありがたいです。」とお言葉を頂きました。活動に入ったボランティアさんからも、アムダの活動について知りたい、いつもこのように災害時には活動されているのですか、と興味を持って話しかけてきてくださる方もいました。
被災者の方の発言で印象に残った言葉としては、
「地震の時、大きな仏壇が倒れてきて壁に寄り掛かったからつぶれずにその間で助かったの。それで息子が助けてくれて、窓を割って外にでた。周りは土砂がいっぱいでヘリコプターで救助されたの。とても高くておっかなかったよ。息子はヘリには乗らず山を登って下へ避難したんだ」
「はじめは命が助かっただけでもありがたいと思ったよ。でも少したったらこれからどうやって暮らしていったらいいのかなって考えちゃって」
「最初は(避難所の他の人を見て)、帰るところがあっていいなって涙も出たけど、今は慣れたよ」
と、避難所で日中片付けに帰れずにいる方の思いを聞き、避難所内においてもさまざまな被災状況の方がおられ、対応には十分な配慮が必要であることをあらためて実感しました。