ダッカ大学コミュニケーション障がい学部、バングラデシュ・ダウン症協会と三者連携協定締結 – AMDA(アムダ)
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ダッカ大学コミュニケーション障がい学部、バングラデシュ・ダウン症協会と三者連携協定締結

AMDAボランティアセンター事務局長 竹谷 和子

2018年1月22日、AMDAはダッカ大学コミュニケーション障がい学部およびバングラデシュ・ダウン症協会と三者協定を結び、ダウン症候群と様々な障がい・疾患に関する研究、防災、リハビリマネジメントとリハビリ療法、各種訓練における交流などを今後三者共同で実施していくことになりました。これまで、バングラデシュに関わってきた職員の竹谷が、この協定締結のきっかけとなったAMDAバングラデシュの事務局長ラザック氏より思いを伺ってきましたのでご紹介します。

AMDAバングラデシュが、ダウン症に関する活動に取り組むきっかけとなったのは、2008年8月、AMDAバングラデシュ事務局長のラザック氏の三男ラファンが誕生したことにさかのぼります。

産まれた赤ちゃんの外見がほかの赤ちゃんと異なることに気がついた日本バングラデシュ友好病院の小児科医が、ダウン症を疑い検査を実施。結果、ダウン症であることが判明しました。ラザック氏は、その時を振り返り「ダウン症については、ラファンが誕生するまで全く何も知らなかった。」と涙を流しながら語りました。しかし、同時に「この子は、きっと私たち夫婦を選んで産まれてきたと思う。ダウン症の子どもたちは、身体的には異常がない子どもも多いのに、学ぶ機会がなく、そもそも自宅の中で隠れて社会参加ができないなど、問題を抱えている。私は、そのために行動することを決めた」と語ります。

その後、日本バングラデシュ友好病院のバブ医師(故人)からダウン症についての世界の取組みについて調べるよう助言を得ます。ラザック氏も、ダウン症についてゼロから学ぶ日々が始まりました。そして2010年、「ダウン症サポート親の会グループ」の組織を結成。AMDAバングラデシュの活動プロジェクトに正式にダウン症サポートを入れることが決定、2010年~2014年にかけて、地元のネットワークづくりを行っていきました。

こうした地道な活動が功を奏し2014年、国際ダウン症連合(Down Syndrome International)の正式なメンバーとなりました。

3月21日は国連が制定した、「世界ダウン症の日」です。同年、日本バングラデシュ友好病院でバングラデシュでは最初の国内大会を実施。これは、世界でも9番目となるものでした。ここに、バングラデシュのダウン症の子どもための特別支援学校の子ども達や親を招待。最初の大会なのでバングラデシュ国内でも非常に注目を受けるものでした。2015年には、3月21日の世界ダウン症の日の啓発活動を、通常の子どもたちが通う学校で実施しました。

さらに、翌年には、政府とともに啓発活動を実施しましたが、一緒にこの活動ができるパートナーを探していたところ、首都のダッカ大学のコミュニケーション障がい学部のHakim Arif (ハキム アリフ)教授が、ダウン症について授業で取り上げているという情報を、子どもたちの親から聞きました。そして10月、ダウン症の啓発啓蒙に取り組む大会を日本バングラデシュ友好病院、ダッカ大学、ガザリア(AMDAバングラデシュがこれまで長期的にプロジェクトを実施している土地)の3カ所で実施しました。

2017年、アリフ教授の提案でこれまでの「ダウン症サポート親の会グループ」から「Down Syndrome Society of Bangladesh」と名称を改め、新たなシステムでスタートを切ることになりました。これは、AMDAのみでなく賛同する様々な人、組織が参加できるプラットフォームの形式をとっています。また、ダッカ大学ともより正式に協力協定を締結して活動を行うことを決定しました。そして2018年1月、AMDAはダッカ大学とコミュニケーション学部と「Down Syndrome Society of Bangladesh」と連携協定を、菅波代表立ち会いのもと、3者で締結しました。









その後今年の3月21日は、「世界ダウン症の日」がダッカ大学で開催され、ダッカを中心に在住しているダウン症の子供と親たちが集まり、大会が開かれ、ダッカ大学大学長、AMDAバングラデシュ支部長ナイーム先生をはじめ各関係者からメッセージをいただきました。その後ダウン症の子供たちからダンス等を披露し、会が盛り上がりました。