AMDA委託 理学療法士 西嶋 望
2015年4月25日に起きたネパール地震から3年が過ぎました。障がい者支援プロジェクトも国産車いす製造支援より始まり、訪問活動を中心とした活動を現地障がい者団体と行ってまいりました。障がい者施設に対する支援を除いた障がい当事者に対する活動は、プロジェクト第一期述べ47件、第二期述べ60件、そして2017年4月1日から始まったプロジェクト第三期では述べ107件(2018年3月末現在)の対象者に支援を行ってまいりました。第三期の主な内容は理学療法士である私の訪問リハビリテーションとパートナーの障がい者団体による訪問ピアカウンセリングをセットで行う訪問活動です。訪問活動を行っておりますのは、ネパールでは障がい者が「寝たきり」となるケースが非常に多い一方、「寝たきり」の方は外にも出られず、本当に寝たきりで困っている方はこちらから訪問しないとお会いすることができないという理由からです。
5月21日、過去に2回の訪問で伺った青年のお宅を再度訪問しました。以前は寝たきりで生きる意欲も低下し私たちも苦渋したお一人です。しかし今はとても生き生きと過ごしていらっしゃいます。こうした苦渋した経験から私たちも学ぶものは多く有りましたのでご紹介いたします。
初回訪問時。座位保持の練習
青年は震災で障がい者となったK.G.さん、男性、初回訪問時19歳、障がい名は第7胸髄損傷による両下肢麻痺。両脚が完全に麻痺して動かすことができません。初回訪問は震災から11か月が経つ頃でした。K.G.さんは、2015年4月25日の地震発生時、震源地に近いゴルカ郡の自宅でエンジニアとなるための勉強中に被災し受傷。トリブヴァン大学病院にて1か月間治療を受けた後、脊髄損傷リハビリテーションセンター(以下SIRC)にて8か月間入院しリハビリテーションを受けていました。2016年2月倒壊した自宅には帰る事が出来ず現在の住まいであるカトマンズ市内に家族で転居しました。本プロジェクトによる初回訪問は2016年3月23日パートナー団体CILカトマンズのピアカウンセラーと訪問しました。K.G.さんはリハビリテーションを受けてはいたのですが寝たきりとなっていました。20才前後の年頃はなかなか精神的な落ち込みが厳しく、K.G.さんのようになかなか自立生活に至らず寝たきりとなることが多いのです。トイレも寝たまま家族に介助してもらっている状況でした。
お父様は「起こそうとすると両下肢の痙縮(両脚に痙攣が起きる事)があるために、起き上がりができない。」とのことでしたが、恐らくそれは方法論での話であり、本当の理由ではないと考えられました。考えられた理由は(1)ご本人が前向きにまだなれていない事と思われました。また(2)排尿管理ができていない事もあります。更には、(3)すでにお持ちの車いすはSIRCからもらったものでしたが、部屋は5畳程度の広さに対し車いすのサイズが大きすぎてベッドとのアクセスが難しい事と、車いすの高さがベッドより高いために自力での乗り移りは難しい事も理由として考えられました。
訪問時は両下肢を曲げた姿勢でずっと寝ていたので両膝関節が曲がったまま固まっていないか気になりましたが、それは若干の関節の硬さは感じましたがさほど問題ではありませんでした。しかしもう少し遅く訪問していたら膝が曲がってかたまり座位も難しくなっていた可能性がありました。初回の訪問時実施内容は、(1)ピアカウンセリング、(2)リハビリテーションを実施・指導、(3)日常生活の指導、(4)防水シーツ提供でした。また(5)として製造した国産車いすを後日お渡しすることとなりました。
(1)ピアカウンセリングは、同じ障がい者の方から行うカウンセリングです。同行いただいたピアカウンセラーよりカウンセリングが行われました。特に本人がSIRCでリハビリテーションを受けたにもかかわらず寝たきりだった背景には、本人の意欲の低下が考えられたからです。
(2)リハビリテーションでは、ベッドにて介助で起こして30分間座位保持ができました。30分間といいますと食事もとるだけの時間ができます。
そこで(3)日常生活の指導として食事は起きて食事をとる方法を指導しました。本人と家族には、「障がい」は「病気」とは違うので、寝ていても良くならないことを説明。具体的な方法として、寝たきりの場合には、日中はできるだけ起きることを説明しました。
また、ベッドでトイレを行っている事から清潔環境の維持目的に(4)防水シーツをお渡ししました。
(5)製造した国産車いすは離床(ベッドから離れる事)のためにはコンパクトで部屋での使用に適しているとして用意し後日お渡しする事となりました。
しかしその後、本人とお父様は治ることを期待していたことから、どこか病院を探すなど一時音信不通になって私たちは心配しました。再びコンタクトがあったのは、初回訪問から6か月後でした。K.G.さんの家族から電話があり、パートナー団体CILカトマンズの行う自立生活プログラム(ILP)という自立生活の実践トレーニングに1週間参加されることになりました。このトレーニングではピアカウンセリングとともに、実際に生活を自分で行ったり、介助スタッフと外出して公共交通機関に乗ったり、買い物や映画館で映画を観たり、スポーツ施設でスポーツしたりという日常生活の体験を実際の社会で体験するというものです。国産車いすをお渡ししてトレーニングをお受けになりました。
ILP終了後、2016年11月21日、2回目の訪問を行いました。実際の生活の場での生活状況を拝見しました。日中は殆ど車いすで生活しておりました。また初回にお渡しした防水シーツは車いす座位でも折りたたんで使っているとのこと。車いす移動時にトイレが心配だったそうですが、防水シーツがあるので、汚れても簡単に綺麗にできるので、安心して乗っていられるとの事でした。
3回目訪問時。補助輪付きスクーターの 前で
笑顔のK.G.さんとお母様
そして2018年5月21日、3回目の訪問に伺いました。部屋を広くするため隣の部屋との壁を壊して車いすでも移動が楽なように2倍の広さを確保、部屋が減った分は建物の奥に部屋をひとつ増築し住環境を整えておりました。生活は普段はパソコンでオンラインビジネスをしているとの事。毎月20,000~30,000ルピーとネパールの平均月収を上回る収入があり、彼が一家の生活を支えるようになっていました。土曜日と日曜日は補助輪付きスクーターで友達に会いに外にも出かけているとのこと。彼によると、「今の生活は障がい者となる前と同じくらい生きがいを感じる生活になった。」とK.G.さんが仰っていました。お母様は「ILPの前は何でも手伝ってあげないと思っていたし、手伝わないといけない状況だったが、ILPのあとはなんでも自分でしてくれるようになったのでとても嬉しかった。あの時(初回)訪問に来てくれて、ありがとうございました。」とのこと。彼の住まいの周りは細い田畑のあぜ道で凸凹ですが補助輪付きスクーターに車いすを乗せて積極的に外出なさっております。今はスポーツにも関心があるとのことです。
さて、このK.G.さんの時のように苦渋した経験から、私たちは何を学ぶべきなのかとK.G.さんの3回目の訪問後パートナーの障がい者団体で会議を行い話し合いました。そこで1)一時音信不通になった背景について、話し合いました。本人と家族が治る事を期待していたというのもありますが、そのために障がい者団体からは電話連絡などで関係の継続は行っていました。しかし離床を積極的に進めるための車いすを速やかにお渡しできなかった事から本人と家族の不安にお応えできていなかったのではないかと考えました。障がい者団体では、K.G.さんにILPを受けていただく必要があると考えていたので、車いすを受け取るために本人に事務所まで来所してほしいと考えていたようでした。当時の状況は、本人が外に出たがらないため来所できず、ただ時間だけが経ち、家族からの音信が途絶えてしまったのでした。こうした事があって以来、車いすを先に渡すことも行うようにしているとの事でした。
では、2)彼が再びCILカトマンズに繋がった理由について、話し合いました。K.G.さんの場合、彼のSIRC入院中に友達となった同じ障がいの友人の存在でした。その友人もまたILPを受けて、自立した生活を始めて、いきいきと過ごしていらっしゃったのです。こうした友人を見て、K.G.さんと家族は、ILPに関心をお持ちになったようでした。それ以来私たちは対象者と親しい友人にも、情報を共有してサポートしていくようになりました。
ネパールはK.G.さんと同様な寝たきりとなる障がい者が多いと言われます。残念ながら私たちが対応する以前に、寝たきりとなって感染症などからお亡くなりとなった方もいらっしゃいます。「寝たきり」は命にかかわるまでに発展しかねない問題です。全ての人がK.G.さんのようになるとは限りませんし、私たちだけで全てを解決する事はできません。K.G.さんには、他の障がい者のモデルとなり、将来K.G.さんが誰かを励ます立場として協力していただけるよう先日の訪問でお願いしました。今もなお新規で訪問に来てほしいとの問い合わせがプロジェクトパートナーの障がい者団体には多数きていると聞いております。障がい者支援プロジェクトは多くの人々を巻き込んで活動するようにしております。