国連パレスチナ難民救済事業機関 前保健局副局長健政策企画担当官 アリ カダール
診療を待つロヒンギャ難民の少年
2018年2月にロヒンギャ難民医療支援にご参加頂いた、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の前保健局副局長 保健政策企画担当官で医師のアリ・カダール氏は、パレスチナ難民として難民キャンプで育ちました。キャンプでの生活を経験したアリ医師にとって、今回のロヒンギャ難民医療支援には特別な思いがありました。支援参加にあたってアリ医師が綴った手記をご紹介します。
今回の派遣に参加する最初の動機となったのは、悲惨な状況にある人々への人道支援の重要さといった、私自身の経験でした。私はパレスチナ難民で、国連が設置した難民キャンプで生まれ、育ちました。国際的な団体による人道援助によって医療や食糧が提供され、学校にも通うことができました。こうした支援がなければ、逆境に立たされたキャンプでのあの時期を、私は生き延びることはできなかったでしょう。当時、パレスチナ難民の乳児死亡率は、生まれた子ども1000人につき200人が亡くなるほど高く、私もそのうちのひとりになっていたかもしれません。さらに言えば、あの状況で教育を受け続けることも不可能だったでしょう。
雨が降り、ぬかるむキャンプ内の道
ロヒンギャ難民の少年たち
今、私には、500万人のパレスチナ難民のために捧げてきた、UNRWAでの医師としての30年の経験があります。ロヒンギャの人々の現状はひどく、暗澹たる状況にあります。しかし、私は強く信じています。私のUNRWAでの経験も含め、さまざまな支援が、将来の世代にも希望や未来が広がっていくような、素晴らしい影響を与えることを。たとえそれが小さな規模の貢献であろうと、小さなことは大きな仕事を成し遂げる土台にもなり得ます。
また同時に、UNRWAをはじめ、困難な状況下で人道支援をしている世界中の多くの組織にとって、価値ある学びを得られるだろうと確信しています。
今回の活動は、人道支援分野での他の援助機関との協働を、さらに強化すると考えています。中東やそれ以外の地域にまで広がっていくであろうAMDAとの協力は、とりわけ重要です。UNRWAとパレスチナ難民は、70年近くまで長引く危機と財政上の課題といった、非常に困難な状況に直面していますが、この取り組みは国家の枠組みを超えた連帯の証と見ています。国連の範囲内での協力といった枠を超えて、緊急支援を必要としている他の人々、言わばきょうだいたちの健康をサポートしていることに、私たちは光栄さを感じるでしょう。ささやかではありますが、地球規模での団結を生み出し、強めていくための、全世界による取り組みへの貢献なのです。
人道支援の分野での活動を担うUNRWAにとって、このたびの派遣は、私たちを知っていただく重要な機会でもあります。いまだに中東以外での地域ではほとんど知られていませんが、UNRWAは60年以上にわたり、この仕事に取り組んできました。
これは、UNRWAがさらに知られる機会であり、現場での経験を得て、ロヒンギャの人々が世界から忘れられてきた原因に光を当て、彼らの尊厳と命を守るための国際的な取り組みを支える機会でもあると、私は考えています。