難民キャンプで活動する UNRWAアリ医師(左)
とバングラデシュ人医師 (右)
ロヒンギャ難民支援第2次派遣で、UNRWAの医師とともに活動した押谷晴美看護師からの手記をご紹介いたします。
UNRWAの医師は、彼ら自身がパレスチナ難民であることから、自分たちも難民としての生活をしながら、海外で学ぶ機会を得て医師となり、UNRWAで多くの人を支援してきた。彼らとともに、ロヒンギャ難民キャンプの活動を行う中で、現状・疾患別データをもとに話し合いをした。UNRWAの医師のデータ分析ではこれから生活習慣病も増えてくる傾向にあること、生活習慣病をターゲットにした診療所も必要になって来ると思われた。また、彼らの実体験があるからこそわかったことであるが、難民たちが、不安や身体的・精神的な症状を訴えている患者が少ない。もう少し個別的に聞き出すことができる環境が必要であると感じた。
ロヒンギャ難民キャンプの居住区画には区画ごとに、「リーダー」が存在する。そのリーダーの一人に話を伺うことができた。Saber Ahammad (サベラ アハンマド)さん29歳。彼の故郷もヘリコプターから爆弾を落とされ全て焼き尽くされた。7人の村人が銃で撃たれ犠牲となった。幸いにサベラさんの家族は皆無事に難民キャンプに着くことができた。現在の問題を伺うと、やはり下水道の問題が一番に上がってきた。居住スペースの周囲が汚水にまみれてしまうため清潔が保つことが難しかった。これから雨季になり状況が悪化することを懸念していた。サベラさんや診療所に訪れる難民の方に今の生活について心境を伺った。私自身は、ロヒンギャ難民が劣悪な環境に置かれているため環境改善への不満があるだろうと予測していた。しかし彼らから返ってくる答えは、「誰かに襲われるという恐怖から解放され、家族と安全に暮らせる環境がここにあること」そのこと自体が、ここバングラデシュに避難してきてよかったことだと言っていた。日本では想像できないほど劣悪な環境の難民キャンプでも、今の彼らにとっては、「家族と共に安心して暮らせる必要な場所」であった。
このような難民の方の思いを直接聞くことができたのは、今回一緒に参加したUNRWAの先生がいたからだ。彼らの一人はバングラデシュで医学生として学んだ経験があり、ロヒンギャ難民の方の言葉を理解することができた。私は何故、自分の予測している答えが返ってこないのかがわからなくなり、UNRWAの医師に伺った。彼らの答えは、「人が生きていく上では安全が第一。安全が確保されてから生活の問題や環境の問題が出てくる。」だった。普段、何気なくある安全がこれほど人々の生活に影響を及ぼすのだと初めて気がついた。そんな恐ろしい目に遭いながら、それでも彼らは、ミャンマーの安全性が確保されれば故郷に戻りたいと切に願っている。そんな彼らのためにも、診療だけでなく、衛生環境改善への手助け、さらには教育支援が行き届き、彼らが故郷のミャンマーに帰った時に、自立して新しい生活を築けるような支援ができればと思った。