派遣期間
2017年12月10日~12月23日
支援活動参加の経緯
2017年10月より、ニュースでミャンマーからバングラデシュに逃れるロヒンギャ難民が急増したことを知っており、以前に一緒に活動をしたことのあるAMDAバングラデシュのスタッフが難民支援活動を始めたことを知り応募を決めた。
キャンプを訪れた最初の印象
キャンプ内の通りの様子
活動地のクトゥパロン難民キャンプの中は、一見するとキャンプ地の外の環境とあまり変わらない。どこからキャンプになるか、教えてもらわないとわからなかった。中心の通りは多くの商店や露店が並び、食料、電化製品、バッテリー、携帯電話、衣類といった日用品、仕立て屋、食堂に喫茶店、理髪店、薬局など、生活に必要なものはすべて売られていた。キャンプ入り口は1991年のキャンプ開設時から建つ政府や地元政府のオフィス、国連機関のオフィスが立ち並んでいた。支援物資の配給所はキャンプ内に複数個所あり、多くの人が列をなして整然と並んでいた。
難民キャンプの環境
以前からある難民の住居は土壁でできており、家と家の間の空間もある程度確保されていたが、2017年に新たに急造された住居は、竹材とビニールシートでできており、強い風や雨が来ると倒れてしまいそうなものであった。狭い土地に多数の住居が建てられたためか建物と建物の隙間が狭かった。ゴミや汚水、料理の際の炊煙などが満ちて、環境は劣悪であった。もともとバングラデシュの町では、ゴミが至る所に放置されており、バングラデシュの一般的な環境と同じと言えば同じだが、多数の人が密集して暮らすことで、環境の汚染が人体に及ぼす影響はかなり大きくなっていると思われる。
トイレ・井戸の状況
トイレは多数建てられていたが、話によると多くのトイレが適切に管理されておらず、キャンプ内にトイレを作り続けているような状態であった。古いトイレは排泄物であふれており、雨期になると更なる環境汚染を引き起こす懸念があった。
井戸もいくつか作られていたが、同じく機能しない井戸がいくつもみられた。飲料水の給水が行われており、難民たちが手持ちの容器に水を汲んで持ち帰っていた。
キャンプは、新たに山を切り開いて作っており道は傾斜がある。多くの難民は急な坂道を登ったり下りたりして移動する必要がある。今後雨期になると、歩行も、バイクやリキシャ、トラックの移動も難しくなることが考えられる。また、新たに切り開いた山に家を建て、大量の木を伐採していることから、土砂災害のリスクも非常に高いと考えられる。
トイレの様子、管理が困難
設置されている井戸
気になったこと
気になったのは、国連機関や行政機関、支援団体のオフィスに近い場所に住む難民と、遠い場所に住む難民で、情報の格差ができているのではないか、ということである。残念ながら実態は確認できなかった。また、難民キャンプの中で経済活動が盛んであるということは、経済的な格差が広がりやすい構造となっている、ということでもある。
難民のほとんどは予防接種を全く受けていない。WHOとMSFによると、難民キャンプの一部でジフテリアのアウトブレイク*が起きている、ということであったが、自分が滞在している間には確認できなかった。この辺りはもともとマラリアの流行地域であり、バングラデシュ政府が集計している各活動団体からの情報によると、マラリアを疑う患者数は1日100人程度でていた。マラリア患者の増加も懸念される。
*アウトブレイク:ある限定された領域の中で、一定期間に予想以上の頻度で疾病が発生すること
診療所での活動
AMDAバングラデシュが主体となって実施している診療所での活動は、(1)患者の診療(2)妊産婦ケア(3)支援が必要な障碍者の捜索、の3つである。この中で自分は患者の診療に携わった。
現地のチームは、リーダーが1名、医師が2名、助産師1名、薬剤師1名、医療アシスタント(通訳含む)3名である。医療アシスタントは主に通訳として活躍している。ロヒンギャ難民は、ベンガル語のチッタゴン方言を話す。バングラデシュ人の中でも、難民キャンプに近い地域に暮らす人でなければ理解が困難であるため、通訳の存在は重要である。彼らは、外傷処置の補助、服薬指導の補助なども行っていた。診療は約3時間で100~150人を診察する必要がある。医師は2人で非常に多忙であった。ロヒンギャ難民の多くは文字が読めず、基礎的な医療知識も持たない。そのため保健衛生指導や服薬指導は時間がかかった。
AMDA診療所には毎日10名程度の紹介患者が訪れた。多くは医療資源を持たない援助団体からの紹介である。AMDA診療所だけでは対処できず、地元の病院に搬送することも、数日に1例程度あった。患者の内訳として、男性、女性、5歳未満の小児がおおよそ1/3ずつ来院した。疾患は、気道感染が約1/3、そのほかの発熱が1/3、後は心窩部痛や疲労、倦怠感、頭痛などであった。皮膚や目のトラブルが比較的多かった。下痢は10%もなかった。疾患構造は日本の診療所とほぼ同じであろう。二次機関に紹介できる、ということは非常に助かった。
その他
妊産婦検診・ケアは、助産師が一人で行っていた。だいたい1日に5人程度である。難民キャンプ全体で6万人以上の妊婦がいるとの報告があり、彼女たちがどこでどのように出産しているのか知りたかったが、残念ながらわからなかった。
障碍者に関しては、AMDAバングラデシュがダウン症の方に対する支援活動を行っていることから、難民キャンプ内でも、ダウン症の方や障碍を持っている方が、適切に支援を受け、社会に参加できているかを確認しようという活動を行っていた。実際には、難民の自治組織のリーダーに、このような方がいないかを尋ねていた。
現地のチームリーダーは、各行政機関への報告、支援団体との情報交換、日々のレポートの作成と政府への報告、薬剤の在庫管理と発注、予算報告書の作成など、非常に業務が多い。バングラデシュ政府は優れたレポートシステムを開発していたが、現在どのような病気が増えているかを早期に見つけることは適切な保健衛生対策を行うことに繋がる。我々から報告をあげるだけでなく、保健省のデータから、今後どのようなことに注意していく必要があるか、情報を得ていくことも可能かと考える。