「あれから半年」‐ 能登輪島中学校訪問 – AMDA(アムダ)
救える命があればどこまでも
特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

「あれから半年」‐ 能登輪島中学校訪問

南海トラフ災害対応プラットフォーム合同対策本部 本部長 大西 彰

 2024 年1 月1 日午後4 時10 分頃、石川県能登半島を震源とする最大震度7 の地震が発生。2 日朝に調整員2 名で岡山を出発し、夜、石川県金沢市の県庁に到着しました。

 石川県保健医療福祉調整本部の情報を元に、翌3 日には、七尾市にある公立能登総合病院内の能登医療圏活動拠点本部へ。その後、AMDA 医療チームの登録と打ち合わせを行い、輪島市立輪島病院へ向かいました。

 高速道路の通行止め、道路の陥没や隆起、その他悪天候や余震の影響によって大規模な渋滞が起こったため、移動に長時間を要しました。

 4 日夜、AMDA と大規模災害時協力協定を結んでいる長野県諏訪中央病院の医療チームと合流。情報共有を行い、輪島市内での活動を開始しました。

 7 日夕刻、輪島市立輪島中学校(以下、輪島中学校)を拠点にAMDA が医療支援活動を行うことが決定し、翌日からの活動に備え、避難所内の調査をAMDA、行政、学校長の三者で実施しました。

 その約1 ヶ月後、2 月3 日には地元の医療機関が保険診療を徐々に再開し、加えて輪島中学校避難所と輪島病院を結ぶ巡回バスが運行再開になるということで、AMDA の活動は診療以外の支援活動に移行することになりました。

 活動の初期フェーズが収束することになり、2 月15 日から17 日に石川県内でお世話になった各所への報告と挨拶を行い、再度輪島中学校を訪問しました。輪島中学校の生徒は、親元を離れて白山市に集団避難している状況が続いていました。

 その後、4 月24 日から26 日に再度、輪島中学校を訪れました。中学生の集団避難は解除されて学校に戻ってきていました。近隣小学校の仮設校舎ができるまで小学生が中学校の教室を利用されているような状況でした。地域の復興状況は完全ではありませんが、水道も主要箇所は徐々に復旧が進んでいます。

 今後も輪島市を訪問して、支援活動について協議していきたいと思います。