AMDA本部 近持 雄一郎
この夏、現地を訪問した菅波理事長
右端がハサヌディン大学のランピセラ教授
「食は命の源」をモットーに掲げて推進してきた『AMDAフードプログラム』。その中核を担ってきたインドネシア・南スラウェシ州にあるAMDAマリノ農場では、有機農法による農作物の栽培を行っています。来年で開設10周年を迎える同農場は、現地農家の努力により、生産者、消費者の双方において、有機農業に対する認知度を着実に高めてきました。
マリノ農場をこれまで監督してきたハサヌディン大学農学部のドロテア・アグネス・ランピセラ教授によれば、AMDAが有機農法を始めるまで、インドネシア国内におけるオーガニック農業の存在は、「バリ島など外国人の多い一部の地域を除いては、あまり知られていなかった」ということです。
有機作物の認知度が必ずしも高くなかった当時、それでも農家は自分たちが作ったものを流通していかなくてはなりませんでした。インドネシアにも、日本の農業協同組合に相当する『KUD』と呼ばれる農業組織はありますが、日本のそれとはやや勝手が違い、販路の拡大は、依然として個々の生産者の努力によるところが大きいようです。
マリノ農場では、これまで外国人が利用するスーパーマーケットや現地の日本料理店などを対象に、主力商品である赤米の売り込みを行ってきました。近年、都市部におけるオーガニック志向の高まりが、徐々に有機作物の需要を後押ししています。今後は、いかにこれを商機と捉えるかがカギとなるでしょう。ランピセラ教授も、「生産者サイドの体制はある程度整ったので、次はこれをビジネスベースにのせることが課題」と述べています。
一方で、世界は今、気候変動に加えて、”戦争がもたらす食糧危機”という新たな難題を突きつけられています。農作物が有機であるかどうか以前に、世界規模での飢餓人口は現在も増え続けています。先進国と呼ばれる国々においても、食糧確保は喫緊の課題といえるでしょう。
マリノ農場を始めたのは、日本で研修を受けた二人のインドネシア人研修生たちです。優れた農業技術を誇る一方で、食糧自給率が低い我が国。私たちが彼らから学ぶべきことは何でしょうか。「飽食」という言葉が少しずつ聞かれなくなり、十分な食事をとることのできない世帯が増加傾向にある昨今。この状況とは反対に、地方における耕作放棄地は増加の一途を辿っています。この10年間で、マリノ農場では、有機農業に転向する農家が大幅に増えました。仮に、日本の生産者がマリノ農場を訪れたとして、彼らの胸にはどのような思いが去来するのでしょうか。
誰もが飢えることなく、健康で安全な食を十分に確保していくこと。AMDAマリノ農場が辿ってきたこれまでの道のりと、現在の世界情勢を照らし合わせると、AMDAフードプログラムが次に向かうべき方向性が見えてくるように思います。