ネパール中西部下痢疾患蔓延に対する医療支援に参加して – AMDA(アムダ)
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特定非営利活動法人アムダ
国連経済社会理事会総合協議資格NGO

ネパール中西部下痢疾患蔓延に対する医療支援に参加して

ネパール中西部下痢疾患蔓延に対する医療支援に参加して

岡山大学病院救急科 朴範子 [pagebreak]



こどもを診察する朴医師

2009年7月31日から8月9日まで、ネパール中西部下痢疾患蔓延に対する医療支援に参加する機会をいただきました。AMDAと岡山大学の協定に基づき、派遣要請があったのですが、以前から途上国での医療支援に興味があったことから、喜んで参加させていただきました。7月31日、私とAMDA本部の調整員は岡山を出発し、8月1日、カトマンズに到着。翌2日、AMDAネパール支部スタッフとミーティングをしました。

ミーティングでは、ネパール中西部ベリ県ジャジャルコット郡へのアクセスが大変困難であることが分かりました。まず、カトマンズからジャジャルコット郡近郊のスルケット郡までは国内便で、その後は、運が良ければ、ジャジャルコット郡までヘリコプターで移動し、そうでなければ、雨期のため道路状況の悪い中をバスかタクシーで移動、その後は20時間くらい歩かなければならないとか…その後は、既に派遣されているネパール支部の医療助手4人からなる先発チームと合流するため、ジャジャルコット郡パダル村に向かうとのことでした。

3日、ネパール支部のMadu医師とネパール人ジャーナリスと共に、スルケット郡に到着。地元保健当局のディレクター、 Pathak医師とミーティングをしました。事務所には下痢疾患対策室が設立され、疾患患者は減りつつあり、状況は落ち着きつつあると説明を受けました。同日夕方、スルケット郡の地域拠点病院を訪れ、同様に、下痢疾患患者は減っているとのことでした。4日、Pathak医師の尽力により、ヘリコプターでジャジャルコット郡立病院に向かうことができました。そこでも同様に、状況は落ち着きつつあり、下痢疾患の受診・入院患者数も減ってきているとのことでした。状況は改善されつつあるものの、引き続きモニタリングは必要であり、1か月前からパダル村で対策にあたっている医療チームの交代として、ネパール支部に派遣要請があったようでした。ヘリコプターでパダル村に移動したところ、既に人員が足りていることが分かり、また、セキュリティ上の懸念から、ネパール軍が運営する医療キャンプのあるサルマ村でモニタリングを行うことになりました。この村の医療キャンプには、2人の軍医が滞在し、状況は改善しつつあると聞きました。

今回蔓延した下痢疾患患者数人の便からコレラ菌が検出されたとの報道がありましたが、我々が接触した関係者からは、大腸菌などの細菌や微生物による混合感染も視野に入れて活動しているようでした。感染ルートに関しては諸機関が調査をしており、いくつかの地域で水源も同定されたという報告がありました。しかし、感染は中西部地域全体に広がっていることから、どのような経路で伝播したのか、同定は困難と思われました。最初の症例は5月3日に報告されていたとのことですが、散発的に発生しており、交通アクセスの悪さや電話など通信手段が一切ない状況が対応の遅れに大きく影響したようでした。このような困難な地域にも関わらず、必要な医療資源を迅速に頒布するためには、ヘリコプターを使う方法しかありませんでした。ネパールでも特に貧しい地域であり、各家庭には電気もトイレもなく生活環境の悪い、加えて、衛生環境も非常に悪い地域であったことが、感染を蔓延させた原因であったと思われました。さらに悪いことには、雨期が重なり、雨で川が増水すると川を横切る道路は一切使えなくなり、物資や人の行き来を更に困難にしました。この地域の生活がいかに困難であるか、ということを身をもって体験しました。

診療面からは、感染状況が落ち着いてきており、それほど下痢疾患患者がいなかったこと、またネパール人医師のサポートなしでは医療行為が行えなかったことから、貢献する機会はあまりありませんでした。歩いて4時間以内に診療所があれば非常に恵まれている、という医療アクセスの悪さには言葉もありませんでした。日本では医師不足が連日報道され、僻地での医療従事者の必要性が叫ばれていますが、それとは比べようもなく、日ごろ享受している種々のサービスのありがたみを改めて感じさせられました。一方、人々が必死に働いているにもかかわらず貧困が解消されない状況、最低限必要な医療も受けられず日々の生活にも非常に困る状況を日本の皆さんに伝えなければならないと強く感じました。

帰りは悪天候のためヘリコプターが飛ばず、最寄の幹線道路まで6時間歩いた後、バスに乗り、スルケット郡に向かう予定でしたが、川の増水の為、バスが止まり、馬の背に乗って川を渡るという経験もしました。途中、予定通り日本に帰って来れないのでは、と気をもみましたが、同行のネパール人ジャーナリスト他の尽力により、予定通り帰国できました。振り返ってみるとネパールには8日間滞在しただけだったですが、濃密な時間を過ごし、今でも不思議な気がしています。